一大事に気づく人一人でも浄土真宗の大繁昌

見てこぬ浄土がハッキリするぞ


女性の身をもってアメリカで3人目の、ノーベル賞受賞者にかの有名なパール・バックという人がいる。

小説「大地」の作家である。

彼女はアメリカで生れて3ヶ月目両親の職業の関係で中国に渡った。

だから彼女の記憶はアメリカではなく、揚子江のほとり、靖江府の家から始まる。

彼女は素晴しい母や母に救われた中国人のワンという女性の愛情と教育で、中国人の言葉、生活態度そしてその心をしっかりと身につけたのであった。

だから1938年ノーベル賞受賞の知らせがあった時アメリカ人の彼女が(勿論英語などはペラペラに話せたのに)喜んでパッと発した言葉に

「恭禧々々」(おめでとう)

という中国語がとび出したのももっともなことである。


ところでこのパールにおもしろいことが一つある。

それは何かというと、パールが18才の時始めてアメリカに帰った時(大学入学のため)のことである。

生後3ヶ月で中国へ渡り、ウエストバージニアの母の生家など知る由もない筈であった。

ところが、そこで冬の雪の晴れた朝、始めて踏む土地なのに、パールは、家を出て山へ向かう道がどんなふうの道であるか、その道を行きつめると左へ曲がる道があり、曲ってから見える山々のたたずまいがどんなであるか全部知っており、今までそこにいた人よりも詳しかったというのである。

これは中国にいる間に母のケアリがよく話して故帰の様子をありありとパールの頭に焼きつく様に話しておいたからである。

が、しかし不思議な位おもしろい話ではないか。


ここで親鸞学徒の賢明な諸氏には感じて戴けると思うが、見てこぬ町や村が人間の話合いで見たよりハッキリ判っていたということである。

パールには知りつくした故郷が2つあったのである。


 さて親鸞聖人は9才から29才まで勤苦修行、艱難辛苦の仏道修行をなされたが悲しいかな見てこぬお浄土に安心はされなかった。

「定水を凝らすと難も識浪しきりに起り」

と泣く泣く山を降りたもうた。

然るにこの聖人が一度び法然上人の門を訪ずれるや、悲泣の果て

「噫、弘誓の強縁は……遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ……」

と大歓喜なされ、

「この身は今は歳きわまりて候へば……浄土にて必ず必ず待ちまいらせ候べし」

と見てこぬ浄土を見たよりハッキリ仰言っているではないか。


この世の母が教えてさえ未だ見ぬ世界がハッキリ判るのに、

阿弥陀如来、大慈大悲の最上仏のみ教で一声で見てこぬ浄土がハッキリしないでなるものか。

必ずある。「ああお浄土。救われた、大安心があった」と叫ばれる日が、考えてみれば親鸞学徒はよくよくの御縁にひかれた果報者だ、幸福者だ、これが喜ばれずにおられるか。


たとえいばらの日々が続こうが、誘惑のあの手この手がこようが浄土真宗の法話聴聞し、敢然と求める人が一人でも増すことが浄土真宗の大繁昌である。

後生の一大事に本気でとび込む人が一人でも!


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