救われた人の思い
岐阜、久々野と私一人の為に浄土真宗の法話を
お叫び下さる先生の御恩に報いることの出来ない自分に
あいそがつきてしまいます。
こんな極悪人の私がどうして現在絶対不変な妙味を味わせて頂けるようにさせて頂いたのか、
何の間違いなのでございましょうか。
こんな私だったなればこそ、阿弥陀如来は御見捨てなく救いとって下さいましたのかと
泣くに泣かれぬ気持一杯でございます。
如来の御恩、先生の広大な恩徳に私は身を粉にしてもと心は早鐘を打つ思いでございます。
何とぞ今後御法体を案じ念じるばかりでございます。
ほとけ己が心にましませど
知らずに迷いし過ぎし昔よ、
真実の教え
なかりせば迷い迷いつ、
はてしなき身を、
善知識いまさずば
この真実誰が教えん
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