阿弥陀如来の本願に救われました。
いつも尊い阿弥陀如来の御本願をお説き下さいます善知識の雄々しく力強いみ声が私の心の奥底に焼きついて忘れられません。
昨年十二月阿弥陀如来の光明の縁に催されたのも善知識のおかげと心より慶ばずにいられません。
そして一人でも多くの人々に真の善知識から聞かなくては信心獲得はできないことを叫ばずにいられません。
次の手紙は妹が迷っていたので心配になり書き送ったものですが、およみ下さいまして御批判下さいませ。
お願い申し上げます。
浄土真宗には数多くの布教師はあっても真実の中の真実を伝えて下さる善知識を選考することが最も大切なのですよ。
善知識から聞けるということは難き中にもなお難しとあります通り遇いながらにしてそれが信じられないところに如何に難しい難中の難と言えましょう。
いくら自分は救われていると真実らしく教えている人から聞いていても少しでも雑行雑修自力があったら助かる筈がないのですから真に危険だと思います。
後生の一大事ほど一大事は外にないのです。
心に鞭打って驚きを立てて下さい、この世で火事が一大事といいますが焼けても後何とかなるでしょう。
また保険の用意があれば前より立派な家も建築されあの時は恐かったが焼けて良かったと喜ぶことになりましょう。
それに反して後生の一大事は取り返しがつかないからです。
じっとしてはいられないではありませんか。
あんなに信じられている人から身を引くようにお願いするのも早く救われて頂きたいからです。
この世だけの姉妹では余りにも情けないからです。
この頃よくある赤ちゃん取りかえ事件の様で間違えられた赤ちゃんなら良いけれど物心のついた子供の心。
また親でなかったことが知らされて離れねばならない心境を思うと私は泣きたいような辛さを覚えましたが、ことは後生の一大事であり必ずそれは信心決定によりて御恩返しが出来るのですもの。
真実はいい加減のものではないのですから絶対狂わぬみ親の御言葉、善知識の御言葉に一向専念、身も心もほれこんでおまかせになって下さい。
そこには雑行雑修自力も惑いも無いのです。
我が力では及ぼず弥陀如来の御力ばかりです。
どうかそこまでお聞き下さい。
この世のことはごまかしても通れますが後生と出かけたらごまかしでは渡れません。
み親から頂く他力信心・金剛堅固の信心がなかったらこの世も未来も救われません。
真実の道は険しいですが一本キリです。
一日も早くお祈りしております。
この記事へのコメント