大型化と真実化

この頃役所、会社などがやたらにデラックス化し大型化してきた。
昔は役場といえば、実直な係りが小型の窓からしょぼしょぼと村民の相手をしていたのに、この頃は、デーンとかまえた係官がどなりつけるようにものをいい、時間がくれば、市民が来ようがおかまいなしにピシャリ閉店。

役所だけかと思うと、お寺もデラックス化している。
それも変なところが即ち集会所、
貸講堂(実は飲食の為又は歌や踊のため)さらには共同墓地のデラックス化。

中につとめる役人、僧侶が真実からはなれ、内容が空虚になるとそのうめ合せに建てものや骨の入れものまで誇大化、大型化するのでなかろうか。

その昔、真実の御教えを真実のまま親鸞聖人がお説きなされたときは余り大きくなかったときく、蓮如上人の時も本願寺は姿より中味であったらしい。

教育でも吉田松蔭はせまい家で自炊しながらやっていたけれどもその輩下から国を建て直す人々があらわれた。

大型化はよくない等ととんでもないことをいっているのではない。
建てものを大型化して貧弱な人間内容を誇示しようとする腐った根性にもの申しているのである。

真実を第一とし、それからドンドン大型化してゆく親鸞学徒の生き方こそ貫き通したいホントの大型化であろう。
まずは浄土真宗の法話である。
他力信心ほど大きなものは他にはない。

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