称名念仏すれば助かるのか

信心決定する手段として念仏称えよ。

称名念仏しておれば、やがて信心決定出来るのだから力んて称えよと説教する人がありますが、これは正しいのでしょうか。


ネコの手本で虎は描けぬ
信心正因貫くのが真宗の教え


多くの布教師もそのような説教しているようですが、それは絶対浄土真宗の教えではありません。

 信前の称名念仏を信心決定する道具に勧めるのは第二十願の教えです。

いわゆる浄土宗親鸞聖人は定散の自心に惑うて金剛の真心に昏い連中の創った教えだと仰言っています)の教えなのです。


ところが親鸞聖人の開顕せられた浄土真宗の教えは、そんな十九願や二十願の本願を教える浄土宗とはちがって阿弥陀仏の王本願である第十八願の教えであります。

 阿弥陀如来の本当の願い、十八願の教えは信心正因、称名報恩といって信心一つで助かるのであって称名念仏は助かった後のお礼の言葉であるという教えですから、真宗の者は、どんな人にでも、始めから最後まで信心正因、称名報恩の教えを説示しなければなりません。
もっとも、仏教を聞く人の中には信仰の非常に浅い人もあってなかなか信心正因、称名報恩の真実の教えを説いても判って貰えないこともありますが、だからといって相手によって真実の教法をネジ曲げるということはしてはなりません。

 たゆまず屈せず、辛棒ずよく、何時でも何人にでも信心正因、称名報恩の正しい教えを説き続ければ、やがて、どんな人でも信心正因、称名報恩の教えを身をもって知ることが出来るようになるのです。
喩えば、虎の画の手本を与えられて虎を描かんとして努力していても、最初の間はどうしても虎とは程遠いネコの画にしかならなくても、たゆまず屈せず、あきらめず虎の手本に順じて教習している中に遂に虎の画を描けるようになるのと同じです。
いくら信心正因、称名報恩の説法しても求めている人の中には、定散自力の称名念仏になったり、称名正因になったりする者が出来るでしょうが、そのような人達でも浄土真宗の法話にて、絶えず信心正因、称名報恩の教えを、聞かされ教えられていると、やがて真実の教えを体験をすることが出来るのです。
それを信仰の浅い人に合せて信心正因、称名報恩の正しい教をネジ曲げて、信心決定したければ称名念仏はげみなさいなどと教えるのは、丁度、ネコの画の手本を与えて虎の画を描く方法としなさいと教えているのと同じであって大変なあやまりです。
ですから親鸞聖人も覚如上人、蓮如上人も誰一人として念仏称えよ信心決定出来るというようなことは教えられなかったのです。何時でも何人にでも始終一貫、そのようなことは教えてはおられないのです。

 だから称名念仏で信心決定できるという布教師も根拠を出せといわれても何一つ出せず、世間に大恥をかいてしまうのです。
正法をネジ曲げている大罪はおそろしいことです。


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