自分の魂の責任は自分でもて

 もしあの時あの会社に入らなかったら、もしあの時あの人にあわなかったら、もしあの時親鸞聖人の教えに出会わなかったら。
今私が親鸞聖人の真実の教えを聞く御縁に恵まれたことをふり返って見るとき、何の運命のいたずらかと、ただ不思議に思うしかない。
いつかどこかで一枚の歯車のカミ合わせが狂ったとしたら現在の自分はあったろうか。

 これを思うと二度とあうことのできない真実の仏教に遇っている現在を極めて大切にしなければならない。
 なのに酒池肉林、煩悩の波にただよわされ真剣に求めようとしないのは一体どうしたわけか。
 善導大師はかって
「一たび地獄に入りて長苦を受くる時、始めて人中の善知識を憶う」
と警鐘乱打されている。

臨終や地獄へ堕ちてからでは遅いのだ。
蓮如上人また
「命のうちに不審もとくとくはれられ候はでは、定めて後悔の身にて候わんずるぞ、御心得あるべく候」
御文章に喝破されているではないか。
“自分の魂の責任は自分でもて”
他人は魂のめんどうまでは見くれないのだ。

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