ねこもしゃくしも 歎異抄というが正しく解説した唯一のサイトは……

歎異抄(たんいしょう)は明治の傑物、清沢満之が世に大きく紹介し、以後誰も彼も親鸞聖人といえば歎異抄、歎異抄といえば親鸞聖人とイメージが湧く程やかましくなっている。 ところで、先日自ら学あると自負している某浄土真宗の僧侶とたまたま邪教の話などから歎異抄の話に移るに及んで驚いた。 それは、あの歎異抄を読んで「ただ念仏して弥陀に助けられ……
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歎異抄の解説スタート

歎異抄(たんいしょう)を知らずして仏法を語ることなかれといってもオーバーでない位に歎異抄が愛読され、話され、また数えきれない位に解説書が本屋の店頭を賑わしている。 しかし歎異抄は非常な名文であることと、他力信心の極地をあらわしたものである為、あぶない箇所が多く、カミソリ聖教といわれ蓮如上人は信仰の浅い者の為にはこれを読ませてはいけない…
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浄土真宗の祖師・親鸞聖人の流刑の真因とは

 浄土真宗の祖師、親鸞聖人は35才の時、住みなれた京都から追放され、越後(今の新潟県の直江津)へ罪人として流刑になったことは周知の事実である。そうであれば、その理由は何んであったのであろうか。親鸞聖人がどんな悪事をなされた結果なのであろうか。流刑という極刑にあわれた真の原因は何か。親鸞聖人の御教えを絶対不二の妙法と尊崇し聴聞する我々にと…
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真剣な聴聞 からだにかけず心にかけよ

 聴聞にまさる宿善はないといわれる。 しかしただ浄土真宗の法話に連なってさえいればよいというものではない。 どのような心で聴聞すればよいのか我々の先覚は、 衣食忘れて聞けと端的に教えている。 服装に心をかけたり、食事のことに気がかかっているようでは真剣な聴聞とはいえない。  子供が学校からの帰途、交通事故にあって何々病院へ…
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信心獲得は誰が決めるのか

信心獲得できねば必堕無間と言われますが、信心獲得できたかどうか誰が決めるのですか。また獲信できた者はお浄土へゆき、出来ない者は地獄へ堕ちるのでしょうか。如来さまは、そんな片手落なことをなさるでしょうか。信心というのは救われるということを信ずるところから始まると思いますが違いますか。私は「如来さまは何もかもお見透しじゃぞ」と知らされること…
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自分の魂の責任は自分でもて

 もしあの時あの会社に入らなかったら、もしあの時あの人にあわなかったら、もしあの時親鸞聖人の教えに出会わなかったら。 今私が親鸞聖人の真実の教えを聞く御縁に恵まれたことをふり返って見るとき、何の運命のいたずらかと、ただ不思議に思うしかない。 いつかどこかで一枚の歯車のカミ合わせが狂ったとしたら現在の自分はあったろうか。  これ…
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親鸞聖人はきびしい方か

 親鸞聖人という方はやさしい仏さまのようなお方だと私は今まで思っていましたが、浄土真宗の法話を聞くと、どうも聖人に対する考えが変って、大変きびしい方のように思われるようになりました。世間一般の人の考えている親鸞聖人は間違っているのでしょうか。  親鸞聖人には、きわだった二面があります。一面は大変やさしい温い、いわゆる仏さまのような面で…
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なぜ浄土真宗で親鸞会だけ本尊が名号なのか

浄土真宗の御本尊のことについてお尋ね致します。本願寺や浄土真宗の各末寺では阿弥陀如来の木像を御本尊として安置してありますが、親鸞会館は御本尊は御名号になっています。浄土真宗の家庭もほとんど絵像を御本尊としていますが、なぜ親鸞会だけが浄土真宗でありながら御名号を御本尊となさっているのでしょうか。非難される理由にもなるのではないでしょうか。…
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信心をとりて礼にせよ

蓮如上人の真面目「無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて、礼にせよ」多勢の人が歳末のお礼に来た時蓮如上人が仰言ったお言葉である。  生涯、「信をとれ信をとれ」「一日も片時も早く、信心決定せよ」と叫びつづけられた蓮如上人の面目躍如としてあらわれているではないか。「信心をとる」とは阿弥陀如来の大願業力によって絶対の幸福になるというこ…
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