往生について浄土真宗の祖師・親鸞聖人の闘い

死後の救いか現在救われるのか。体失不体失往生の諍論に聞く

 親鸞聖人を柔和な方のように思っている人が多い。
確に聖人には慈悲の権化のような面もあるが、それよりも秋霜烈日たる峻厳さこそ聖人の真面目と私は憶う。
聖人の御一生は正に破邪の法戦の連続であったといって過言ではない。
親鸞聖人の御降誕を縁として、その法戦の一つ、体失不体失往生の諍論を書くことにしよう。

 聖人がまだ法然上人の御弟子であった時のことである。
後に浄土宗を開き、当時から法然門下380余人の中でも上足と目されていた小坂の善慧房証空が、大衆を前に
念仏のお徳によって死んだ後には、極楽往生させて頂けるのが阿弥陀如来の御本願の有難さである」
と得意満面で説法していた。
みな感心して聴いていたが、親鸞聖人は思わず立ち上り、
「暫く待って頂きたい」と善慧房の説法に待ったをかけられたところに、この法戦の火蓋が切られた。
一同、何事だろうと聖人を凝視したのも無理はない。
親鸞殿、私の説法に何か異義でもござるのか」
ムッとした善慧房は詰問した。

「ただ今、あなたは弥陀の本願は死後(体失)でなければ、助けて(往生)下さらぬと仰言ったが、この親鸞はただ今救われた(往生)ことを喜ばずにおれません。
弥陀の本願は生きているただ今助けて下さる不体失往生でございます。
一頭の馬が狂うと千頭の馬が狂います。
あなたのような方が本願を誤まられては大衆共に無間地獄の火城へ転落しなければなりません」
と聖人はきっぱりと仰言った。
 余りにも鮮明な阿弥陀如来の救いを体験なされていた聖人にとっては、弥陀五兆の願行を水泡にし、ブッダの一切経をホゴにする、このような悪魔の説法は到底聞き流す訳にはゆかなかったのである。
 「何を親鸞殿は仰言る。聖道仏教は此土入証だが、わが浄土仏教は彼土得証、死んだ後で極楽参りさせて頂くからこそ往生浄土というのではありませんか。どうして我々凡夫が、この世で助かることができましょうぞ」
当然ながら善慧房の反撃がなされた。
「そのことは親鸞もよく承知していますが、あなたの仰言るのは結果でしょう。
誰でもが浄土往生できるのではありますまい。
現在、信心決定して魂の解決、心の往生の出来た人のみのことではありませんか。
ただ今救われないものが、どうして死後で助かるでしょうか。
前の河さえ渡り切らない者が、どうして後の河が渡れましょうか」
 憤激した善慧房は
 「それでは、あなたがそれ程までに自信を持って仰言るのならば、この世で助けるという本願の御文をあげて貰いたい。
それができねば、あなたの独断と云われても仕方がありますまい。さア、その根拠を示され」
と迫った。
 時に聖人いよいよ、弥陀の本願の真意を開顕する勝縁来たりと微笑なされ
「善慧房殿、それは若不生者不取正覚の御文で明らかでございます」
「何を申される。親鸞殿あなたは何か勘違いなされてはおられぬか。
あなたの示された御文は、若し生れずは正覚を取らじ、と弥陀が誓われたお言葉なれば、
一度死なねば生れることはできませぬから、私の正しいことを証明する御文にこそなれ、
あなたの説の証にはなりませぬ」
勝ち誇ったように叫ぶ善慧房。
しかしその時、すかさず聖人のお言葉が四方を圧した
大胆不敵、一点の妥協も許されず
「善慧房殿、あなたの誤りは実にそこにあるのです。
若不生者の生れさせると誓われたのは、この肉体のことではないのです。
魂のことなのです。心のことなのです。
暗い心を明るい心に、不安な心を大安心に、苦悩渦巻く心を歓喜の泉に生れさせるとのお誓なのです。
 人間の医者でさえ、あなたの腹痛はこの世では止められぬから辛抱しなさい。
しかし死んだら何とかしてあげようという医者がありましょうか。
今、濁流に溺れて苦しんでいる者に、今は救うてやれないが土左エ門になったら助けてやるから、それまで待っていろという人がありましょうか。ましていわんや、大慈大悲阿弥陀如来がこの世の苦悩はどうにもできぬ、苦しくても我慢しなさい。
死んだら助けてあげるからと誓われる道理がないじゃありませんか」

 鋭い聖人の追求に善慧房、すでに顔色なく、一言の返答も出来なかったのである。
 明らかな仏智を体得し、絶対の幸福を獲得した者は、曖昧な妥協はできず、真実を発揮する為に大胆不敵な信念を傍若無人に叫けばずにおれないのである。
浄土真宗の法話では、この生きている時に救われる親鸞聖人の教えを聞くのである。

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