信ずるということ 知るということ

 あの人ならと信じていたのに裏切られた、などということをよく耳にする。さも意外なことのようにきこえるが考えてみればありうることなのである。 信ずるという言葉は、疑いという言葉と表裏一体となって成立している言葉であるからである。疑いがあるから信ずるというのである。  ちなみに、明日の天気はと問われれば、雨だと思うとか、曇だと信ずるとしか…
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物質天国は幸せ?

昔、国立統計数理研究所が日本人の宗教的態度について世論調査をしたところ、(同じ調査をフランスが欧米八ヶ国で行った)「この世に神や仏がいるか」の問いに、肯定するもの欧米は70〜80%、日本は24%だそうで、次いで「この世は幸福になって来たか」の問いに、肯定は欧米が30〜40%に対し日本は70〜80%だった。  詳しくは判らないが大変面白…
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往生について浄土真宗の祖師・親鸞聖人の闘い

死後の救いか現在救われるのか。体失不体失往生の諍論に聞く  親鸞聖人を柔和な方のように思っている人が多い。確に聖人には慈悲の権化のような面もあるが、それよりも秋霜烈日たる峻厳さこそ聖人の真面目と私は憶う。聖人の御一生は正に破邪の法戦の連続であったといって過言ではない。親鸞聖人の御降誕を縁として、その法戦の一つ、体失不体失往生の諍論を書…
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「天上天下唯我独尊」とは

ブッダは誕生なされた時に「天上天下唯我独尊」と言われたそうですが、仏教は、そのような独尊的な教えなのでしょうか。  大変、世間一般に誤解されている仏教の言葉です。確かに、釈尊が誕生された時に、天と地を指さゝれて「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと記録されています。 これを多くの人々は「この世で一番、偉くて尊いものは自分一人である」と釈尊が…
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まず心の臨終を

浄土真宗には二度の臨終、二度の葬式があると聞きましたが、どんなことでしょうか。  二度の臨終といいますのは、心の臨終と肉体の臨終のことです。故に、二度の葬式というのも同じく心と肉体の葬式をいいます。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の本願を信ずる直前に我々は一度死ぬのだと仰言っています。その直後、生きかえった時が阿弥陀如来に救われた時であると…
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親鸞聖人と柴田勝家

まことの厳しさと私情の恐ろしさ親鸞聖人は、真実の為には吾子をも勘当 建長8年5月29日、84才の親鸞聖人が、遠く関東に布教していた吾子善鸞に義絶状を送り「あさましさ、申すかぎりなければ、いまは親ということあるべからず。子と思うこと、おもいきりたり。かなしきことなり」と親子の縁をキッパリと断ち切っておられる。  善鸞が、「わしは父、親…
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阿弥陀如来に抱かれて尊き親鸞学徒の皆様へ

「生き仏、如何に攻撃受けようと ビクともしない金剛心」 尊き偉大なる善知識の御心中を歌わせて頂きました。尊き親鸞学徒の皆様、この広い世界に善知識と名のつく人は一体どれだけ居なさることでしょう。生きる意味は信心決定ただ一つあるのみ、後生の一大事程新しい生きた言葉はありません。 その新しい広大なる南無阿弥陀仏の真実を、夢の世界にたわむれてマ…
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