他力の大信心は母乳の味・平等一味の世界

親鸞聖人他力大信心の妙徳を母乳に喩えて、寒暑同味、転苦吐甘、尊卑同一の三徳があると教えられている。
寒暑同味の徳とは母乳が厳冬に飲んでも酷暑に飲んでも乳児には適温になって与えられるように真実の他力信心は、何時でも何処でも変らぬ味がするということである。
転苦吐甘の徳というのは、母親が何を食べてもおいしい乳とするはたらきを持つように、他力の大信心は順境には感謝法悦となり、逆境にあえば懺悔精進となって転悪成善、罪障功徳の体となって下される妙用があるということである。
 尊卑同一の徳は、尊貴な人の母乳も卑賎の母乳も少しも変らぬ一味であるように、
他力の大信心を獲得した人は、凡て一味平等の信界に遊ぶことが出来ることを妙喩を出して教えられたものである。

 戦後特に白由平等が強調されるようになったが、真の平等一味の世界は、
阿弥陀如来に摂取された大信心の世界にしか絶対にないことを我々は知らなければならない。

 これは偏えに阿弥陀如来より平等に賜る他力の大信心によるものである。
一度この信心を賜われば、誰をも差別なく一視同仁の慈愛となって万人を生かすのである。

阿難尊者が或る夏の暑い日に行乞より祇園精舎に帰る途中、余りノドが渇いたので、木蔭で一人の若い女が手桶に水を汲みこんでいるのを見て、近づいて水を一杯所望した。
美男で有名だったその阿難に言葉をかけられた娘は、驚きかつ赤面しながら小さい声で
「私は卑しい素性の女ですから貴方のような尊いお方には、あげとうてもあげられません」
と断わった。

 当時のインドでは厳として破ることの出来ないヒンドゥー教の鉄壁四姓の身分差別があった。
阿難は最上層の宗教家、その少女は言葉も直接かわすことの出来ない虫ケラ同様にみなされていた最下層の人であった。

阿難は娘をやさしく慰めて
「人間は生れながらに貴賎が定まっているのではない。仏の教はそのような考え違いを徹底的に破って一切の人は生れながら平等であると教えられているのです。どうか遠慮なさらず、私に水を一杯布施して頂きたい」
と少女をはげましている。

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
明治の先覚者の言葉に時代のれい明と驚いたが、釈尊は二千数百年以前に、
しかも四姓の階級鉄壁の社会に於てすでに「万人は平等なり」と叫けばれたということは、実に驚くべき事実ではないか。

親鸞聖人もまた、あの階級対立のきびしい封建時代にあって全人類に向かって
「御同朋御同行よ」と愛の手をさしのべ
親鸞は弟子一人も持たず」と宣言なされたことは一視同仁の信心の智慧をもたずしては言えることではない。

「おおよそ大信海を按ずれば、貴賎、緇素(僧俗)を簡ばず、男女老少を謂はず、造罪の多少を問わず、修行の久近を論ぜず、行に非ず、善に非ず……唯是れ不可思議、不可称、不可説の信楽なり」
      (教行信証信巻)


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