親鸞聖人の教えと礼儀

礼の心は悲歎から


 現代青少年はそして一般も含めて、情操の音痴であり、礼儀の白痴であると嘆いている者がある。
学校教育に問題があり、教師の怠慢だと罵る者もあれば、その前に家庭教育に問題がある、お母さんの悪いのが揃っている現代ではどうしようもないなどと嘆く者もいる。

 最近浄土真宗でもこの点について非常に関心が高まり日常の行動についても反省とよい実践がなされつつあることは、深法である浄土真宗の法話聴聞している者として当然のことであり勿体ないことだと喜んでいるのである。

 思うに、現代社会を支配している思想は何といっても西洋思想であり物質文明の思想であろう。
それはキリスト教やユダヤ教が根本に根ざしていることは確かで、いいかえれば「力」の思想であり、「怒り」「復讐の神」が中心をなしているといえる。中、ソの支配思想であるマルクス主義もキリスト教の亜流で、この点では冷血そのものである。
「中共抑留九〇日」の手記にロイター通信社のグレイ氏は、あの中共正義のシンボルのように宣伝された毛主席の紅衛兵について
「紅衛兵に逆手をねじあげられ……それは、野蛮で軽蔑、悪意と法外な復讐心をむき出しにした連中だったと断言して憚らない…」
といっている。
全く想像を絶することをされたそうだ。
それはやっと最近政界で問題になっている創価学会の暴言、狂気の沙汰と同じである
(創価学会は何十年も前に浄土真宗によってすでに対決破邪され済みである)

 まことに、西欧のキリスト教、物質文明にささえられた中に礼儀があるとすれば、それは御都合主義、利害によるかけひきではなかろうか。
また、邪教や中ソの礼儀はあるとすれば権力に脅迫され侵せば命にかかわる問題であることは火を見るよりも明らかなことである。

 このような種類のものをわれわれは礼儀と呼ぶことができるだろうか。
なる程、西欧の旅から帰った人は人なつこいやさしかった或る人の思い出を語り、訪中の人は或る中国人の大らかな思い出を語る場合もあり、すべてが邪悪な人、邪悪な者とはいえないだろうが、今問題にしているのは一国、一主義者の根ざしている礼節の根本思想のことである。

 されば仏教、真宗のみ教えでは、智慧慈悲の最高無量の御教を説かれ、身口意の三業にあやつられている私自身を説き明かされては、この人間同士の交わりにどんな心どんなことばどんな行動が出てくるかはここに説くまでもあるまい。
愚かな私が人にどんな言葉をはけばよいのか。
勿論法謗邪義への怒りは親鸞聖人の如く快刀乱麻を断っべきは論を俟たぬが
その他一切は親鸞聖人の『愚禿悲歎』ご述懐の心を慕い、
「これは愚禿がかなしみなげきにして述懐としたり、この世の本寺本山とまうすも法師と申すも憂きことなり」
との金言の心から出発すべきでなかろうか。

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