日本通史に出てくる浄土真宗の親鸞会

『日本通史』という日本の歴史を21冊にまとめた本があります。その時、富山大学の学長が親鸞会を取材しました。 親鸞会と本願寺で法論が何度もあったので両方を取材しています。 富山大学の教授が1年間、親鸞会へ通って浄土真宗の法話を聴聞しました。その後、本願寺にいきましたが、門前払いでした。 小沢教授たちの資料によれば、親鸞会はすべての資…
コメント:0

続きを読むread more

浄土真宗の墓参りの意味

過日お盆に里帰りし墓参りした時、ふと浄土真宗の者が墓参りする意味は、どんなことだろうかと考えこんでしまいました。  真実の仏教を求めていられるなればこそ起きた尊い御不審だと思います。 周知の通り世間ではお盆には死んだ肉親達の霊魂が墓に集まって来るのだから、それらに供養する為に参るのだと信じこまれていますのに、浄土真宗の親鸞聖人や蓮如上…
コメント:0

続きを読むread more

ブッダや親鸞聖人は死後は説かれなかった?

死後の世界の存在や、霊魂の存続することについて、ブッダや親鸞聖人は、死後の世界や霊魂の存続を認められず語られなかったように思いますが如何なものでしょうか。そのような仏教観をもっている人は今日相当あるようです。しかしそれは果して正しい見解でしょうか。  ブッダが死後の世界や霊魂(仏教では霊魂という言葉は使用しませんが、仮に)の存続を認め…
コメント:0

続きを読むread more

近代システムと浄土真宗

 最近、産業、政治、教育界などで盛にいわれる言葉にシステム化ということがある。極めて高度化し、複雑化した社会全体がさらに他国をぬき人間の世、開闢以来の発展成長の為に誰も彼もが、しのぎをけずって進展するための方法的仮設である。 システムという語をウエヴスター大辞典で見ると「ある共通の計画に従う、また、ある共通の目的に奉仕する多種多様な部分…
コメント:0

続きを読むread more

人生の目的、絶対の幸福とは

人生究極の目的は絶対の幸福だと言われますが、絶対の幸福とはどんな幸福を言うのでしょうか。また親鸞聖人はどこにそんなことを仰言っていられるのでしょうか。仏教では幸せと言われるものを二つに分けます。一つは相対的幸福と言わるべきものと、絶対の幸福と言われるものです。 相対的幸福とは、一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦し…
コメント:0

続きを読むread more

2020年の浄土真宗

偉大なる足跡を残して、浄土真宗は2020年の春を迎えた。 この一年、ますます忙しく、親鸞学徒は浄土真宗の法話を迫られるだろう。 経済的には豊かになったけれども、めまぐるしく移り変る社会環境の変化に、大衆は自己を見つめる間もなく、しのぎを削っている。 この疲れきった大衆の心を癒しきれるものは親鸞聖人の教えより他にない。 五欲に溺れ…
コメント:0

続きを読むread more

宿善の厚薄ということ

すべては聞法心、求道心如何にかかる  浄土真宗の根本は一念往生にある。阿弥陀如来の本願は一念でわれらを救いとって下される無上の勝法だからである。しかし信心獲得の時期に前後不同ができるのはどうしたわけであろうか。宿善まかせ、無宿善力およばずといわれるように、これひとえに各自の宿善の厚薄によることを知るべきである。されば我々の宿善の有無や…
コメント:0

続きを読むread more

激動の70年と浄土真宗

エコノミック アニマル 1969年、それは激しい変動の年であった。東大安田城の攻防戦に明け、沖縄、安保の師走選挙で暮れたが、まさに世はスピード時代、昔の10年が今の1年、一世紀が10年のテンポでめまぐるしく移り変ってゆく。 国民総生産高世界第3位、西欧先進国の倍以上もの早さで進む経済成長は物質文明全盛時代をもたらした。物質の豊かさは消費…
コメント:0

続きを読むread more

親鸞聖人の教えと礼儀

礼の心は悲歎から  現代青少年はそして一般も含めて、情操の音痴であり、礼儀の白痴であると嘆いている者がある。学校教育に問題があり、教師の怠慢だと罵る者もあれば、その前に家庭教育に問題がある、お母さんの悪いのが揃っている現代ではどうしようもないなどと嘆く者もいる。  最近浄土真宗でもこの点について非常に関心が高まり日常の行動につい…
コメント:0

続きを読むread more