阿弥陀仏に救われた思い
来る年も来る年も、金銭を求めて苦しんでいる。
どれだけ得れば満足するのか。
名誉を追うてあせっている。
どこまで登れば安心できるのか。
財産を望み、色を漁り衣食住の満足を願って365日、狂い廻っているのが私の実相だ。
無限の欲望は一村、一国、世界にひろがってゆく。
咲き誇った花も必ず散らねばならぬ時が来るように、集めた財産も金銭も地位も名誉も、すべてが離散する時が来るのだ。
うたかたのように消えてゆく。
死の巌頭に立った時は三文の価値もないものだと百も千も合点承知しながら、この根性はどうだ。
この魂は何としたことか。
共に地上を去らねばならぬ時の覚悟はできているのか。
限りある生命を持ちながら限りない欲望を充たせるとでも思っているのか。
なぜ真実一路、突き進まないのか。
たった一人でもよいではないか。
絶対不二の阿弥陀如来の本願に遇わせてあげるのが、お前の使命ではないのか。
ああ、私の心は血涙を流して懺悔してもたらぬ悪性なのに微塵の懺悔の心もない。
こんな無慚無愧の恥知らずの鉄面皮が、高上りして他人を見下している。
他人からほめられたい一杯、名を知られたい一杯、食いたい一杯、したい一杯、遊びたい一杯より以外に心は動かない。
なぜに、こんなに恵まれているのか。
なぜに、こんなに愉快なのか。
どうしてこんなに生かされるのか。
自分自身にも判らない。
他人が知ったらさぞ変人だろう。
笑う者には笑わせよ、そしる人にはそしらせよ弥陀より外に知る人ぞなき世界だもの。
毀誉褒貶を度外視して叫けばずにおれないこの信念、人生苦悩の乱麻を截つ南無阿弥陀仏の名刀の切れ味は凄い、逆境こそ心の試練であり、不幸こそ信念の試金石である。
気の毒じゃなァ気の毒じゃなァこんな素暗しい無碍の世界のあることを知らない人のいかに多いことか。
弥陀の本願を知らない人ほど、みじめな人生があるだろうか。
伝えねばならぬ。
叫けばねば申し訳けがない。
私は弥陀の本願に救われたことを喜ばずにおれない。
絶対の幸福にさせられたことを感謝せずにおれない。
只今が満足な身にさせられたことを叫けばずにおれない。
喜ばぬ心が見えれば見える程なお有難い。
今日の一日が尊い、只今の一息はもっと尊い、吸う息吐く息が不思議だ。
こんな広大無辺な仏恩を受けながら九牛の一毛も報い切れない私は悪魔か羅刹か、なぜ身心共に破れるまで真実を叫び続けぬのか。
苦しみ悩む人がいるのはお前の責任だ。
大地にひれ伏して大罪を謝し、身命を賭して今年こそ破邪顕正に突撃しなければならない。
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