四国で浄土真宗の法話
何ともはや、物騒千万な世の中になったもの!!
一寸ボタンを押せばそれっきり人類の終幕という滅相なものを抱えて、不安と焦燥とにいつも根こそぎ揺さぶられている。
月世界到達だ、宇宙旅行だと空にばかり気をとられている隙に、足元が地につかず肝心の日常生活に大きな空洞ができて、人間相剋暴力肯定、殺人横行と途方もない社会様相になってきた。
戦争の凄惨さにこりて平和平和、世界平和、人類平和と平和をよぶ声は大きく、希求する運動は久しい。
それでいて人々の上に少しも平和はこない。
否、むしろ平和から遠のいてばかりいる。
政治が悪い、社会が悪い、若い者がなっていない、老人は封建的だといつも相手にばかり眼を向け、他人の非を論ってのみいる世相人情、そこには自分というものは棚上げになっている。
眼を内に向けて己を凝視内観し徹底しておのが心の深部に内在する本当のわが本性に気づいたとき人は真摯になる。
厳粛になる。
そうして深い深い反省と懺悔の中から、真の人間道へ転進することが可能になる。
「まず己を知る」一人一々が腹の底から眼を醒し、正しい信仰心を基盤として生活する。
こんな社会になってこそ平和は到来する。
米粒を詰めたのが米俵、麦を入れれば麦俵、さてダイヤモンドの粒を一杯つめればダイヤモンドの俵となる。
えい智の人、高潔の人が一杯に集団する社会は平和の光輝にみち充つる。
我国の歴史にも古来人傑あり、聖者あり、高僧あり幾多これらの人々の中に親鸞聖人ほど真実に徹して生き抜かれたお方を私は他に知らない。
どこまでも御自身を掘り下げ、掘り下げ、人間性に深い凝視洞察を抱かれて、唯一無二の境地を希求して一生を徹し抜かれた真実の権化は、このお方をおいて他にはないのではあるまいか。
私の魂を掴んで離したまわず、心の奥底まで知っていて下さって共に倶に、喜び、悲しみを通じて真実の道へお手引き下さるお方は実に親鸞聖人その方であります。
人間は人生詮ずるところ、真実に生かさせていただくより他に術はない。
真実道に徹到せんがための人生というこの大目標を下凡の私は見失うてばかりいる。
健康保持、学問研修、技術習得職務精励、その他総ての生活はこの窮極の大目標を完遂する手段であり、助業であるに過ぎない。
鳴呼!!親鸞聖人こそが、私の生かされる方向をお示し下さる唯お一人の尊い尊い存在でおありなされる。
今、この親鸞聖人の御教えを、一器の水を一器に移すが如く教え導いて下される方は善知識である。
そして遠路四国の地へ善知識の浄土真宗の法話をして頂くことになった。
これひとえに阿弥陀如来のおてまわしと感極まりないものがある。
これを機に四国全土に真実の法灯がともされんものと私は確信する。
親鸞学徒の皆様、この高松へ是非とも足を運んで頂きたい。
共に真実の御教えを聞くことができれば私の望外のよろこびとするところである。
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