獲信の記録・阿弥陀仏は生きてござる

ミーンミーンミーン。
真夏の太陽がじりじりと照りつける昼さがり、食事をしておられたお父様が突然箸を置き
「仏様も暑いだろうなあ」
とつぶやくとさっと立ちあがって本堂へ行かれた。
すべての戸を開き涼しい風が仏壇に入りこむのを見とどけるとやっと安心したように又食卓につかれた。
そんなお父様の行動は幼い私にとって不思議でならなかった。
又ある時は、私が仏壇の前のお供え物を欲しいと言うと
「もう少し待ちなさい。
まだお供えしてから少ししか時間が経っていないから仏様が充分おあがりになっていない。
仏様が充分おあがりになってからお前達にもあげようね」
そしていつもお父様は
「おには七つの徳を持たねば生まれることはできない。
だからこの仏様を死仏にしてくれるなよ」
といつも言っておられた。

しかし私はお父様はおかしなことを言われる。
この仏様を死仏にしてくれるなと言ったっていつ見ても仏様は前のお供えものを食べられないのに、と思っていた。
この様なお父様に厳しく優しく育てられた私は子供時代を楽しく過ごした。
ぶらんこに乗ったり友達とハーモニカを吹いたり、ピンポンをしたりして…。
その頃の私の仕事は、春と秋に三十日間開かれる浄土真宗の法話の布教使の食事のお世話をすることと、大きな提燈のろうそくに火をともすことであった。
 しかし私は遊び盛りの子供であったから、それだけの仕事を済ませるとすぐに遊びにとび出して行った。
そんなある日ろうそくの火をつけていると、一人のおじいさんが南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏念仏を称えながら横を通りかかった。
その時私はドキッとして日頃のお父様の言葉を思い出した。
「七つの徳がなければ寺に生まれることはできない。
そして仏様を死仏にしてくれるなよ」
そうだ私は寺の娘に生まれて13年にもなっていながら南無阿弥陀仏の意味さえ知らないではないか。

その時何も知らない自分が恥かしくなり次の日、いの一番に高座の下にすわって、生まれて初めて説法を聞かせて頂いた。
その時の説法に
「おぎゃっと生まれた赤ちゃんでも死ぬことがある」
と言われた瞬間、さっと心が冷え、声が出なくなった。

おぎゃっと生まれた赤ちゃんでも死ぬことがあるのに、私は13まで命をながらえさせてもらっていながら、仏とも法とも知らぬでは情ない。
説法が終わった後、さっそく座敷へ伺い話を聞かせてもらおうと思ったが、次から次と大勢の人が出入されるのでとうとうその機会がなかった。
 しかし夜、床に入ってもなかなかねむれない。
日頃からお父様に死ねば地獄へ堕ちると聞かされていたし、赤ちゃんでも死ぬことがあるのに、今私が死んだらどうしようと思うと、心配で心配で朝まで一睡もできなかった。
それでどうかして人のこない内にお坊さまに話を聞かせて頂きたいと思い、早くから雨戸をがたがたさせて、お坊様をおこしてしまった。
そして母にたのんで早く食事を作ってもらい、お坊様のところへ持っていった。
僧侶が「じょうちゃん、今日はえらい早くから起きていたね」
と言われたので、私は夕ベから後生が苦になって一睡もできなかったことを話し2時間程お話をきかせて頂いた。
 その一言一言が私の腹のどん底にピシッピシッとこたえた。
小さい時からたえずお父様の真実の中で育てられた私の心は不思議と真実を真受けにすることができた。
そしてその時、これ以上堕ちるところがないというところまで堕ちきり、無間地獄の底で生きた阿弥陀如来にお値いした。
「ああただ南無阿弥陀仏のまこと一つを信じさせて頂いたあとは何もない」
おどり上るこの喜びは言葉にはあらわされない、口で言えるようなちっぽけなものではない。
泉のごとくにわき上る喜びが噴き上り心が燃える。
尊いではないか。
素晴らしいではないか。
これは不思議な不思議な獲信の思い出である。



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