真宗を死の商人から護れ

商人の鉄則


 たとえそれが一介の行商人であろうと老舗の主人であろうと、いや老舗であればある程、商人といわれる人は食物であれば調理の仕方、食べ方、或いは道具であれば使い方、機能をマスターして商いをする。

信用を重んじる店ほど上手な使い方を教えて売ってくれるものである。


 真実の仏法を伝える者にとっては、仮にこれを商売とするならば阿弥陀仏より六字の御名号タノム一念で仕入れ、後は仕入れた者のみが知る素晴しさ、尊さを苦悩にあえいで需要する衆生に一日も早く供給せんとする、いわゆる「自信教人信」の行動こそが商売の一大鉄則となる。


 然るに浄土真宗の現状はどうであろうか。



本願寺の学者は商人か小人か


「信心の自覚というのは、なんか気持が変ったとか、体験を得たという主観的なことではなしに、“あり方”ですね。

人間のあり方が変るという……」

「日蓮が人情的ということは認めます。

仏教の高僧の中で人間的な魅力、これがあったのは弘法大師日蓮聖人じゃないか。

日蓮という人間の名前で宗旨開いておる。

これは他にないことです。

親鸞というのはあまり面白くない人間じゃないでしょうか」(中央公論より)

と安田理深元大谷派宗務総長が述べているが、真宗の大商人であるべき者がこのようなわけの判らない、しかも邪宗の祖師をほめたたえ、我が祖師親鸞聖人を軽々しく「親鸞」と呼びすて、「あまり面白くない人間」と誹謗するに至っては商人どころか、仏法の常識も判らぬ小人ではないか。

求道もせず六字の御名号を仕入れた体験がないから師と仰ぐ必要もないというのだろうか。



あわれ、詐欺師本願寺


 それでなくても法主から新門への管長移譲問題で大ゆれにゆれ、納骨堂の建設をめぐっては法主と宗議会が大ゲンカ、世間に醜態をさらしている東本願寺である。

これではヒイキの引き倒し、聖人が如何なる迫害をも恐れず死守された「平生業成、一念往生」の金看板に泥をねり、真実の御教に拒絶反応を示す堕獄の徒である。

それでも真実を商いするとあらば中味と看板が違う以上、詐欺師本願寺の汚名は免れぬであろう。



真実の使徒となれ


 今が苦しみの、ド真中、死の巌頭に立っている人は、もはや本願寺から技苦与楽の御名号を仕入れる事は皆無に等しい。

ここに偉大な親鸞聖人の教えを奉ずる親鸞学徒一人一人は看板に偽りのない真実の使徒、商人たらんと立上ろう。


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