七慢

「一つとせ、必定地獄と聞きながら、ウヌボレ心にだまされて、堕つるこの機ということは、ホンニ今まで知らなんだ」
という信心かぞえ歌があるが、このウヌボレ心は本当にやっかいなシロモノである。
昔から
「他人の事を言っている時はみな悪口、自分の事を言っている時は必ず自慢話」
と言われるが一体どんなウヌボレ心を我々は持っているか、釈尊からお聞きしてみましょう。

 釈尊はこれを七つに分けておられる。
これを「七慢」と言う。

 まず最初は「」だが自分より劣っている人に対して自惚れる。
社長が社員に、先生が生徒にそれぞれ「そんな事さえ知らんのか」と自惚れる。

 第二に「過慢」、これは自分と同等の人に対して自惚れるもので、たとえば学業成績が同じであった場合、
「彼は一生懸命頑張って自分と一緒だ。自分はそんなにやってない。
もっとやれば彼なんか足下にも及ばん」あるいは
「彼は一年浪人しているが、自分は高校からストレートだもの」等と自惚れるのを言う。

 第三に「慢過慢」これは相手より劣っているのに自分の方がよいと自惚れるのを言う。
「B子さんは私より美人だが、私はお花もお茶の免状も持っているもの、B子さんより嫁のもらい手が多いじゃろ」
と自惚れるのは、これに入る。

 第四に「我慢」、自分が間違っていると判っていても自分の意見を貫き通そうとする心を言う。
男は特にこの心が強いようである。ガンコなのもこの心から来るのである。

 第五に「増上慢」、これは未だ信心決定していないのに、
「私は助かっている。阿弥陀仏の救いにあづかった」と自惚れているのを言う。
これは浄土真宗の同行の中に非常に多いようである。
危うし危うし。

 六番目は「卑下慢」自己を見下げて、自分ほどまじめに自己を見つめているものはいないじゃろと自惚れる。
「私ほど悪いものはおりません」
「何もできない私です」
「欲と瞋りの毎日の私です」
と言っている腹の底にこの卑下慢が動いていないだろうか。

 最後に「邪慢」、自惚れる値のないものに自惚れる事で、
手先の器用さを自惚れるスリ、自堕落ぶりを誇る遊女、
プレイボーイが過去の淫らな女性関係を自惚れるのもみな邪慢である。

 以上、簡単に七慢の説明をしたが、ここであげた例は氷山の一角で時、ところによってウヌボレ心は千変万化し真実の自己を覆い隠してしまうのである。
 ダマサレルナダマサレルナ


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