臨終に三つあり(三位の臨終)

「あの人は安らかに死んでいったから極楽まちがいない」
と言っている人がいる。

しかし平生の時、信心決定していない人は、どれだけ静かな臨終であって、も、一息切れたら無間地獄へ真逆様である。
ならば「何故あのような安らかな死に方ができるのか」と言う疑問を抱く人もあるだろう。
しかし臨終にも三段階ある事を知れば、この疑問も氷解するであろう。

 まず第一臨終は、心明了位の臨終と言い、これは眼、耳、鼻、舌、身の感覚の死ぬことを言う。
つまり眼は開いていても相手が誰だか判らないし、身体にふれても触覚を感じないのである。

 第二は身体愛法位の臨終といい物事を記憶したり、考えたりする意識が死ぬことを言う。
自分の最も愛する身体や妻子、家財、その他この世の一切のものとむりやり引き離される時であるからその苦しみは想像を絶するものであろう。
 わずか十万や百万円を失した位で耐えられぬ苦痛を覚え、何をやっても十万円百万円が心から離れず、いつまでも執着している我々だから、より強い執着を持っている全てのものと永遠に別れねばならないこの臨終は最も残酷な時である。

 さて第三には心不明了位の臨終である。
これは我々の魂(阿頼耶識)が地獄へ堕ちて行くことである。
だからこの時は、もはや筆舌にかからぬ大苦悩を受けるのである。
しかし既に身も意識も死んでいるから、どれだけ苦しくとも、もはや他人に訴えることはできない。
他人が見れば眠るように死んでいっても本人は地獄へ突走っているのだから恐ろしい。
「極楽参り間違いなし」と喜んでおれるどころではない。

この様に一口に臨終と言っても質的、時間的に全く異なる第一、第二、第三の臨終に分けることができる。
又、医学界では臨終を脳波、呼吸、脈はくの停止等と物理的にとらえているが、いづれにしろ生きる我々には必ず臨終がやってくる。
油断すな、追っかけ来るぞ、火の車、吸う意、吐く息大無常。


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