親鸞会との法論に破れた本願寺の僧侶の所信表明
先日、親鸞会青年部親鸞会の講師と西本願寺輔教との間に
1信心決定したら本人にハッキリ自覚出来るのか、出来ないのか
2信心決定した後も雑行雑修することがあるのか、ないのかなどの法論がなされ、
本願寺の僧侶は親鸞会の講師の質問糾明に解答できないまま現在に至っている。
ところがその後、本願寺の僧侶が教務所に於て
親鸞会との法論についての所信表明をすることになった。
親鸞会の講師はさっそく同教務所に誰でも聴取出来るかどうかを問い合わせたところ、
何十人でも参加自由の返事を得たので
本願寺の僧侶の所信表明をみんなで聞くことになった。
当日午後1:30、百数十名の親鸞学徒が教務所につめかけた。
教務所側は最初快よく入場を許可したにもかかわらず、やがて態度を急変し
「今日は通知状のない者は出て行け、出て行かねば会場を変更する」
と怒鳴りだす。
仏法を聞きに来た者に「出て行け」とは生れて始めてのことだとてきれるばかり。
「誰でも聴取自由といったではないか」
の押問答の内に時間は予定をはるかに過ぎ、
集まった15名余の住職達が業をにやし「早く始めろ」と言い出す等、
騒然となった会場に困惑しきった関係者は本願寺の僧侶の法論についての所信表明を急遽変更。
法論とは何ら関係なき歎異抄の講釈、
しかも内容は支離滅裂、仏語の羅列をするばかり。
親鸞学徒を前にして、たえず汗をぬぐう本願寺の僧侶。
終始静しゅくに聴聞する親鸞学徒。
午後3:10ついに本願寺の僧侶は顕正新聞については一こともふれずに話を終えた。
すかさずなされた
「今日は親鸞会との法論の所信表明をされるのではなかったのですか」
の追求もうやむやにごま化し、逃げるように姿を消した。
ここに至って最早や浄土真宗のみ教えは完全に東西本願寺からは消え去り、
親鸞会のみに輝いていることがいよいよ明らかになった一幕であった。
1信心決定したら本人にハッキリ自覚出来るのか、出来ないのか
2信心決定した後も雑行雑修することがあるのか、ないのかなどの法論がなされ、
本願寺の僧侶は親鸞会の講師の質問糾明に解答できないまま現在に至っている。
ところがその後、本願寺の僧侶が教務所に於て
親鸞会との法論についての所信表明をすることになった。
親鸞会の講師はさっそく同教務所に誰でも聴取出来るかどうかを問い合わせたところ、
何十人でも参加自由の返事を得たので
本願寺の僧侶の所信表明をみんなで聞くことになった。
当日午後1:30、百数十名の親鸞学徒が教務所につめかけた。
教務所側は最初快よく入場を許可したにもかかわらず、やがて態度を急変し
「今日は通知状のない者は出て行け、出て行かねば会場を変更する」
と怒鳴りだす。
仏法を聞きに来た者に「出て行け」とは生れて始めてのことだとてきれるばかり。
「誰でも聴取自由といったではないか」
の押問答の内に時間は予定をはるかに過ぎ、
集まった15名余の住職達が業をにやし「早く始めろ」と言い出す等、
騒然となった会場に困惑しきった関係者は本願寺の僧侶の法論についての所信表明を急遽変更。
法論とは何ら関係なき歎異抄の講釈、
しかも内容は支離滅裂、仏語の羅列をするばかり。
親鸞学徒を前にして、たえず汗をぬぐう本願寺の僧侶。
終始静しゅくに聴聞する親鸞学徒。
午後3:10ついに本願寺の僧侶は顕正新聞については一こともふれずに話を終えた。
すかさずなされた
「今日は親鸞会との法論の所信表明をされるのではなかったのですか」
の追求もうやむやにごま化し、逃げるように姿を消した。
ここに至って最早や浄土真宗のみ教えは完全に東西本願寺からは消え去り、
親鸞会のみに輝いていることがいよいよ明らかになった一幕であった。
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