自己にも他人にも厳しくあれ

 昔、長い間、総裁の座に君臨してきた佐藤氏も終に引退して新しく田中氏が選ばれたが、総裁選挙でも黒いウワサが乱れ飛び、激しいなじり合いが展開された。
というものの国民から見れば目クソ鼻クソ笑うの類いで、下の下の人間の所業でしかなかった。

 人間を四つに大別して、
一つには自己に寛大で他人に厳しい人、
二つには自己に寛大で他人にも寛大な人、
三つには自己に厳しく他人に寛大な人、
四つには自己に厳しく他人にも厳しい人、
の四つになるが、最近の政治家は与野党の区別なくすべて一番目に入ってしまうようで甚だ残念である。

 しかし何も政治家だけが一番目に入るのではない。
嫁をいびる姑も、姑を邪魔者扱いする嫁も、夫に不平不満を抱く妻も、妻に文句をいう夫も、上役を不信に思う平社員も、平社員をガミガミ叱る上役も共に自分の欠点を忘れて相手を謗るから世の中は修羅場と化すのである。

 又、西本願寺の坊主は、
「あれは異安心だ」とハッキリとした根拠もあげずに、
己の無安心を棚に上げて、
蔭でブツブツ誹謗しているがこれは徒らに釈尊のみ教えを混乱させている恐ろしき輩である。

 では二番目はどうかというと、他人の非を許す代りに己の非も又許すというのでは、悪のし放題で世の中の収拾がつかなくなるのは当然である。
サーキット族が深夜の街を暴走するのも、悪に寛大なヤジ馬が絶えないからであって、政治の貧困と仏教の腐敗からできた奇型児であろう。

 ことに仏教の指導的立場にある浄土真宗の中の東本願寺の学者も他人の信心をあれこれ厳しく言わない代わりに己の信心も厳しく沙汰することも無いという全くの無関心組だから、これ又、仏教を反古にしている大罪人である。

 次に自己に厳しく他人に寛大な人だが、他人のふりみて我ふり直す人であり、己を責めて人を責めぬ人で、世間でいう人格者である。

 だから、これを最高と考える良識人は、徹底的に破邪する親鸞会を誹謗するのであるが、最後の四番目に属する人の有るを知らぬからであろう。
自己にも他人にも徹底的に厳しい人、即ち親鸞聖人の真面目を知る人が少ないのである。
その厳しさは自己に向かえば懺悔となり他人に向かえば命がけの破邪顕正となったその生き方は最高無上であり、全人類の指標とすべきものである。
国民に物質的満足を与えるべき政治家は聖人の生き方を施政方針の第一にかかげてこそ真の国民主権の政治ができよう。
政治家の奮起を期待すると共に、派閥に関係なく親鸞学徒は、親鸞聖人の教えをいよいよ深く学び、いよいよ広めねばなるまい。
仏弟子の一人として。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント