聞法の秋

秋がきた。
そろそろ求道にもアキが来て足を出している人を見かける。
「なかなか難しいねえ」
「阿弥陀様はどこをむいておられるのか」
ああ!後生の一大事を何と心得ているのだろう。

心なき畜生でさえも、家の大事となれば命を捨てるのに、我々は一日として寝食を忘れ、命を投げ出して仏法を求めたことがあるだろうか。
くる日もくる日も欲にだまされ、怒りに狂い愚痴に身を沈めて、浮いた浮いたで戯れているではないか。
それで求道者と言えるだろうか。
まるで戦いの厳しさは無く、尊い仏法をザルのように流しているではないか。
そんな事では何十年たっても信心決定はおぼつかない。
聖人は19才の御時、聖徳太子の御廟で、29才には六角堂へ百夜の祈願をこめられ、気を失う程に命がけで求められたではないか。
我々はいつ聖人のこの火の如き求道を真似たことがあっただろう。
阿弥陀仏は呼んでおられる。
正覚の大音は十方に響きわたっていても聞く耳を持たぬ者ばかり。
しかし頭のから回りに関係なく事実は事実としてあらわれてくる。
「お前達にはまだ判らないのか。
あの激しい無常がまだ判らないのか」
の釈尊の金言を銘記し求道に突進する秋としよう。

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