火の如き執念を持て

元横綱若乃花は
「稽古をする者としない者は、はいている下駄を見れば一目で判る」
と言うが、相撲の稽古では足の親指に力が入る。
それが習慣となって、下駄をはいても親指に力が入るから、その部分がへこんでくるのである。

又「タタミの上も土の上も同じ」
であり、「使い走りも稽古のうち」であると若乃花は断言するが、その言い方に徹底したプロ意識を感ずる。

およそどの様な世界であれ、一芸に達するためには、このような努力は必要であり、仏法を求める親鸞学徒とて例外ではない。

聴聞している時だけが求道で、あとは家に帰ってテレビ、マージャン、おまけに夜ふかしの不節制では情ない。
新聞一つ読むにしても、日々の三面記事をにぎわす犯罪はそのまま自己の悪性を教えたものであるし、世界の政治、経済に関する知識も大いに吸収しなければならない。
一求道者として不用な事でも迷える大衆を導く三界の大導師としては是非とも必要な事である。

以上の如く生活即求道、生活即信仰の日々を求めるべきである。

剣聖と言われた宮本武蔵にも青年時代があった。
苦しい修行の時が存在した。
その武蔵が終日思いつづけた事は、以下の如くである。
「…どうしたら天下無敵の剣になれるか。
武蔵は寝ても醒めても病のように取り憑かれているのである。
この剣、この一剣…」
 この武蔵の如き目的に対する執念こそ親鸞学徒の持ち続けねばならないものである。

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