浄土真宗で法論が起きる理由(本願寺)

前々回の記事で、浄土真宗で法論が起きる一つの理由として
東西本願寺はじめ真宗十派は、
親鸞聖人や蓮如上人が御明示なされた御名号を御本尊とせず、
他流の者が好む木像を本尊として、公然と両聖人の御教示に違反し、
浄土真宗の教法をねじ曲げ破壊しているからだ
ということを明らかにいたしました。

 次に重大な本願寺の人々のあやまちは
「平生に必ず絶対の幸福に救い切る」
と誓われた阿弥陀仏の御本願を本願寺の人達は
「死ななければ助けて下さらないのだ」と誤解し
「死んだらお助け死んだらお助け」
と死後の華降る極楽のみを教えています。

 あなたは今までどんな浄土真宗の法話を聞かされて来られましたか。
「現在の苦悩を現在救い切るのが浄土真宗だ」と聞かされて来たか
「死んでからのお助けを喜べ」と聞かされて来たか。

 現在救われるのだと聞かされて来たのならば、
救われたら私達はどのように変ると教えられて来たか。
救われない前と救われた後はどこがどう変ると聞かされて来られたか。
過去の聞法を静かに反省して頂きたいと思います。

 私は京都に在学中、よく総会所の説教を聞きに行きましたが
「現世で明らかに救い切って、絶対の幸福にして下されるのが阿弥陀仏だ」
と教えた人には遇えませんでした。

 そろいもそろってみんな
「この世ではどうにもならぬからアキラメが肝要だ、そのどうにもならぬ者を死んだらお助けだ」
「死後でなければ助かるということはないのだ」
「我々凡夫にこの世で助かったということなどあるものか」
という説教ばかりでありました。

 これでは五兆の願行の結果
「必ず平生に救い切る」
と誓われた阿弥陀仏の御苦労は水泡に帰してしまいます。

 全人類の救われるたった一本の道である阿弥陀仏の御本願を破壊し、
全人類を奈落の底へ突き堕としているのが現今の本願寺ではありませんか。

 故にまた、この弥陀の本願一つを教える為に出世なされた
釈尊の一代教を反故にしているのも本願寺であり、
その釈尊の教法を無我に相承せられ
「平生に絶対の幸福に救い切る」
と誓われた弥陀の御本願を自らも体験し、我々に御教示なされたのが親鸞聖人や蓮如上人ですから
「死なねば助からぬ」と弥陀の本願を破壊している現今の本願寺は
もはや絶対に親鸞聖人の教法を伝持する浄土真宗とはいわれません。

 このように弥陀の御本願を破壊し、
釈尊の教法をねじ曲げ
親鸞聖人や蓮如上人の御教示を踏みにじって、
全人類を無間の火城へ引導している現今の本願寺と
和気あいあいとやってゆけると思われますか。

 この悲しい現状を直視する親鸞会は、
あなたのような非難攻撃、白眼視も覚悟の上で、
あえて大声叱呼、本願寺等の覚醒を促さずにはおれないのです。

「大悲の願、船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ずる」
と喝破なされた親鸞聖人の光明の広海とは、死んでからのことか、現世のことか。

 どんな人でも大悲の願船にさえ乗り込めば渦巻く苦悩の人生が転じて光明の人生になるのだ。
断じて死んでからの夢物語ではないのだぞ!
と叫び続けられた親鸞聖人の御心を顕正することを
親鸞会の聖使命だと自覚し破邪顕正に挺身しているのです。
故に非難の為の非難でもなければ、ネタミ、ソネミの為の攻撃でもありません。

 心ある者は、
ただ仏恩の深重なることに感泣しつつ、
ひたすら真実の弥陀の本願の開聞を念じて叫びつづけていることを
知って頂ければ幸いと思います。

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