平生業成の浄土真宗での本当の意味

平生とは臨終に対する言葉で平常の時をいい、業成とは業事成弁の略語であって、
往生の業因が完全に成立したことをいう。
すなわち、臨終の時節をまたず、平生信心獲得の一念に往生の業因が成就して将来浄土に往生することに定まったということである。

 平生業成という語は覚如上人にはじまったといわれ、浄土真宗の骨格をなす最も大切な言葉の一つである。
この世で我々の助かることを最も端的に表現された言葉で『口伝鈔』には
「善知識にあって聞持する平生のきざみに治定するあいだ、この穢体亡失せずといえども業事成弁すれば体失せずして往生すといはるる歟、本願の文あきらかなり」と示され、浄土他流の臨終業成に対されている。
これを平たい言葉であらわせば、現在只今、絶対の幸福に助かるということである。

 しかしながら今日、本来の意味とは掛離れ、似ても似つかぬ方向へと誤解されたまま、使われているのが実状のようである。

「あそこの婆さん、平生ゴウジョウ悪かったから目むいて死んだ」とか
「あそこの嫁さん平生ゴウジョウ悪かったから離縁になった」
というように業成があたかも行為行いという意味に使われている。
これでは
「あそこのばあさん、助かったのが悪かったので、目むいて死んだ」
となり、チンプンカンプンなことになってしまう。

「他力本願」が他人の提灯で、あかりをとるといったように
「他人の力」の代名詞のように誤解されたまま、それが社会通念として定着化され、
マスコミが堂々新聞紙上に活字を並べている様に(本来の他力本願の意は阿弥陀仏の力のみをいう)
平生業成も行為という間違った意味の方が一般化され、
何の不思議さもなく社会に受け入れられていることは非常に残念なことである。
しかし決してこのまま放置しておいてよいものではない。

我々知った者から間違いを糾し、正しい意味を明らかにしていかなければならない。

 と同時に真宗の僧侶が堂々「死んだらお助け」などと祖師聖人が破邪された臨終業成(体失往生)を叫んでいるのは、
平生業成を金看板とする浄土真宗を冒涜するものであり、自ら他流の僧侶になり下ったことを証明している何よりの証拠である。
我々はこれをも破邪顕正し、正しい平生業成の意を顕わさなければならない。

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