「仕事を止めて仏法を聞け」とは何ごとか

蓮如上人は「世間の仕事を止めて仏法を聞け」
と仰言ったとききましたが本当でしょうか。
もし事実なら、はなはだ無理なことではなかろうかと思われます。

確かに蓮如上人は『御一代記聞書』の中に
「仏法には世間の隙を闕きて聞くべし。
世間の隙をあけて法を聞くべきように思うこと浅ましきことなり」
と仰言ってあります。

仏法では我々が一番大事に考えている仕事を「世間の隙」と言って、
それを止めて聞かねばならぬものが仏法だと教えられています。

あなたも仰言る通りはなはだ無茶なお言葉のように思う人が多いと思いますが、
それは仏法は何を教え、何の為に仏法を聞くのかということが
分からないところに原因があります。

仏法を倫理や道徳に毛の生えたもののように考え、
世間を仲よく渡る道具のように思っている人々には
蓮如上人のお言葉は、とても受け入れられるものではないでしょう。

人生の目的を仕事をすることだ位に考え、
毎日馬車馬のように欲や仕事に追いまくられている人にとっては
蓮如上人のお言葉は狂人のたわごととしか聞かれないでしょう。

しかし、よく考えてみて下さい。
私たちが生まれ難い人間界に生を受け、
種々の苦悩と戦いながらも尚も生きているのは一体、
何が目的でありましょうか。
あれだけの大仕事をした太閤秀吉でさえ、
「露とおき露と消えぬる我身かな、浪花のことは夢のまた夢」
と寂しく死んでおります。

 人生の目的は仕事ではないのです。
ズバリ結論を申しますと後生の一大事の解決、
これこそ人生究極の目的なのです。

 後生の一大事とは一息切れたら最後、
無間地獄に堕在して八万劫年、
大変な苦しみに沈論せねばならぬという一大事を申します。
自覚しようとせまいと何人にもこの一大事は厳存致します。

仏法ではこれを生死の一大事ともいい、
この解決のできる唯一の道を教えています。

しかもこの一大事の解決は平生達者な時にはっきりできますし、
それが出来たら絶対の幸福という実に素晴しい人生が開かれますから
絶対の幸福になることこそ人生の目的だとも教えられます。

 さればすべての人々の後生の一大事の解決は真実の仏法、
阿弥陀仏の本願によらねば絶対に出来ませんから人生の目的は、
この弥陀の本願を聞くこと一つにあると言い切ることが出来るのです。

 親鸞聖人
「大宇宙が火の海になっても、
その中かき分けても聞かねばならぬものが仏法だ」
と仰言ったのもそのことを教えられたものです。

 世間の仕事や衣食住は、
この唯一無二の人生の目的を達成する為の手段でありますから、
努々、目的と手段を間違ってはなりませんよという御親切から
蓮如上人ズバリ断言なされた御教えと有難く拝誦せずにはおれません。

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