生首の説法

うだるような暑さが去ると一斉に茅蜩が鳴き出した。
女房達は夕餉の仕度を始めたのであろう、どこの家からも煙が立ち始めた。
源右ヱ門の妻、絹も小鮎の煮つけとめずらしく酒の仕度をして夫と一人息子の源兵衛の帰りを待っていた
「おばさん」
円いよく動く目が遠慮がちに戸口から覗いた。

「ああ菊ちゃんかい、お入り」
「ええ」
「あれっ菊ちゃん、どうしはった、えらいきょうは奇麗やな、やっぱり赤い着物はええな」
「だって、おばさん」
そういうと菊は、ポッと頬を染めた。

「うんうん」
絹はさも「解ったもうよく知っているよ」
というふうに大げさにうなずくと、
「アハハハハ」
「フフフフフ」
二人とも楽しそうに笑いだした。
二人とも三ケ月ぶりに源右ヱ門達が帰ってくるというので、子供のようにはしゃいでいたのだった。

「おばさん、源兵衛さん達どの辺やろうなあ」
「そうやな瀬田の唐橋を渡ったかいなあ」

 あの事件以来四年、蓮如上人は近江の諸方を廻っておられたが、北陸地方への正法宣布の要地として越前の国大乗院領細呂木郷内の吉崎に一寺(吉崎御坊)を建立されたのである。
槌の音が大空にこだますると、近畿、北陸、奥羽等諸々方々から、同行は群れなし、にわかに林の中に小屋が立ち並び、店までできて吉崎御坊建立に身体で御報謝する人々の汗と脂の町が出来た。

 文明三年いよく落慶法要を勤修する運びとなり、一時三井寺に預けてあった親鸞聖人の御真影をもどしうけるため、源右ヱ門達は蓮如上人のお供をして堅田へもどってくるというのであった。

 一方三井寺は、当初不服ながら御真影を預かったのではあったが全国から御真影にお参りしようと集る同行の賽銭で財をこやし、近頃はそのうま味にほくそえんでいる有様であった。

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