生首の説法

今日は蓮如上人が、親鸞聖人の御真影をもどし受ける為に、長い間の礼をかねて三井寺へ行かれた筈であった。
源右ヱ門は、久方ぶりの漁を済ますと本福寺へ走った。
「お晩です。お晩です」
「おかしいな、誰もおらんかいな。上人様はまだおもどりにならんのかな?」
一人言をつぶやき、庫裡の玄関を上った。薄暗い廊下を歩くと板のきしむ音が、妙に響く。
「お晩です」
いつも住職の法住愛用の居間をのぞくと、夕餉の膳が箸をつけたまま放り出され、油の切れかかった燭台が鈍い光を放っていた。
割合こういうことにはうるさい法住にしてはめずらしいことだ。
一瞬、源右ヱ門は不吉な予感を覚えて胸が高鳴った。足早に本堂裏の蓮如上人の控室へ急ぐ。
そこには人の気配が感じられた。
だが無気味に静まりかえっている。
「上人様ーっ」
しめ切った襖の前に手をつくと、前後の見境もなく呼びかけた。
不安が喉につかえて声がかすれているのが判る。
「ああ源右ヱ門殿か、お入りなされ」
 蓮如上人の声が返ってきた。
『ああよかった。思い過ごしであったか』
蓮如上人の御身に、何か大事があったのではと思っていた源右ヱ門は、上人の御言葉に安心すると急に肩から力が抜けてしまった。
ややして静かに襖を開き押し入ったが、やはりそこには何かしら隠しきれない重苦しい空気が漂い、源右ヱ門は息苦しささえ覚えた。
法住もひどく青い顔をしてそこにいた。
何事か判らぬが蓮如上人のこれ程苦悩に満ちたお顔をお伺いするのもかってなかったことだ。
『やはりこれはただごとではないぞ』
源右ヱ門は、新たな胸の高鳴りを覚えると同時に、ひそかに
『自分でお役に立てることならどんなことでもさせて頂こう』
と躰をかたくしながら、蓮如上人のお言葉を待って手をつかえた。
 夕闇がすっぽりと辺りを包み、家路を急ぐカラスの鳴き声だけが遠くでせわしげに聞こえてくる。
蓮如上人の唇がかすかに動いた。

「な、な、なんと、そげな無茶なことを……。
三井寺が……」
法住が青い顔を上げた。
三井寺とは滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山、園城寺である。

「源右衛門殿、本当だ」
「そ、それで、上人様はきょうお一人で?」
「うん、ワシが行ってもどうなるものでもなしの。
一刻程前道西殿が来られてな、すぐ三井寺へ行かれたがな」
と、又うつむく。

「源右衛門殿、このことは他言しないように。
皆にいらぬ心配をおかけするだけのことだからの」
「しかし、上人様」
「いいや、御真影様を三井寺へ預けたこの蓮如の責任、すべて私が至らない為に起きたことだ。

 そのために、そなた方にまで心配をかけてしもうてすまぬ」
 だが、源右衛門には蓮如上人の御心痛のほどが、判り過ぎるほどなのだから余計辛い。
それだけに、お返しする言葉を失ってただ首をうなだれる外はなかった。

 刻限は二日。
『二日の間に、生首二つ揃えて持ってこい。
さもなくば御真影は返さぬ』と三井寺は到底可能性のない無理難題をけしかけて来たのだった。
それというのも、貧寺の三井寺にとって御真影へ参詣する真宗の同行衆のさい銭が唯一の財源であるため、今ここで持ってゆかれては又貧乏に苦しまねばならぬからだ。
だから始めから返すつもりはないので誰が行こうが無駄なことは判りきっていた。

「くそーっ、三井寺めーっ」
長い沈黙の中から、法住が息苦しさから救いを求めるように叫んだ。

「も、もし御真影様がもどらなければ…」
「め、めっそうもねえ、法住殿、止めて下され」
「でも、どうすればよいのです。
源右衛門殿、生首二つなど、三井寺は、ワシらに人殺しせよというのか」
「そ、そげなことは出来ぬ」
「出来ねばもどらぬことになる」
「法住殿、少し静かにして下され」
「源右衛門殿、貴方はよく平気でおられるなああ……どうすればよいのだ」
「法住殿、それでなくても上人様の御心配は並大抵でじゃねえです」
「そ、そうじゃな、ああ……」
「上人様、ワシに考えがあります」

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