仏法は後生の一大事に始まる

 仏法は聴聞に極ると親鸞、蓮如上人は御教示なされている。
親鸞聖人は、たとえ大千世界に満てらん火をも過ぎゆきて仏の御名を聞け、更に蓮如上人は世間の仕事をやめて聞けと教えておられる。

 これは一切の人々に死後大変な大事件が惹起することを知らせんが為である。
よく仏法を聞く目的は何かと尋ねる人がある。
世間には目的知らずに仏法を聞いている人がほとんどである。

 これでは底なし風呂に入水しているようなもので満水になるためしがない。
目的なしの聴聞は千座万座重ねても所詮ムダ聞きに終るだけである。
では我々が仏法を聞く目的は何か、あらゆる経典や御聖教に仏法を求める目的は後生の一大事の解決に極ると教えてある。
これを生死の一大事とも言うが、これはすべての人間が一息切れると無間地獄に堕在して八万劫年苦しむという大事件を言うのである。
釈尊一代の教えはこの一大事のあることを知らせて如何にこの一大事の解決をするかを説かれたものである。

 仏法の根底をなすもの故にこの一大事を抜きにしては仏法は始まらないのだ。
この一大事の底を入れずに聞いているから助からないので、仏法は聞いて有難く思えば助かるぐらいに思っているのは、とんだ聞き違いである。

 今だに助からぬ原因は外にあるのではない。
後生の一大事を心にかけて聞いておらないからである。
又仏法をこの世生きてゆく道具のように思い倫理、道徳と兄弟のようにはきちがえている人の如何に多いことか、これも目的が判らね無知より、勝手に仏教を誤解しているのである。
すでに無常は足元まで迫って来ている。

 各々聞きまちがえはないか、今こそ聞法の姿勢を正さねばならない。

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