テーマ:親鸞

なぜ破邪顕正に徹し切らないのか

 受け難き人身を受け、遇い難き善知識に遇わせて頂くほどの幸せは他にない事は今更いうまでもないが、 浄土真宗の門徒は果してどれほどその幸せを感じているだろうか。 親鸞聖人の血を吐く雄叫びにどれだけ相応しているだろうか。 「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず、仏の怨敵なり」(涅槃経) を金科玉条として真実開顕に挺身された親鸞聖人を絶…
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浄土真宗で法論が起きる理由(本願寺)

前々回の記事で、浄土真宗で法論が起きる一つの理由として 東西本願寺はじめ真宗十派は、 親鸞聖人や蓮如上人が御明示なされた御名号を御本尊とせず、 他流の者が好む木像を本尊として、公然と両聖人の御教示に違反し、 浄土真宗の教法をねじ曲げ破壊しているからだ ということを明らかにいたしました。  次に重大な本願寺の人々のあやまち…
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聞法の秋

秋がきた。 そろそろ求道にもアキが来て足を出している人を見かける。 「なかなか難しいねえ」 「阿弥陀様はどこをむいておられるのか」 ああ!後生の一大事を何と心得ているのだろう。 心なき畜生でさえも、家の大事となれば命を捨てるのに、我々は一日として寝食を忘れ、命を投げ出して仏法を求めたことがあるだろうか。 くる日もくる日も…
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親鸞聖人と謎の女性との出会い

親鸞聖人が、比叡山でご修行なされていた時、 どうしても後生の一大事が解決できず、一度下山して恩師の慈鎮和尚を訪ねた帰りのことである。 「親鸞様、お待ち下さいませ」 と女性に声をかけられた。 親鸞聖人が、 「何か私に用がおありですか」 と振り向かれれると 「これからどちらへ?」 と尋ねる。 「私は山へ帰るところですが」 …
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全国真宗青年の集い

“全国真宗青年の集い”──これは西本願寺の青年組織である仏教青年連盟(仏青)が 年に一度催す集まりである。 以前、その石川大会が開かれた。 仏青に将来を託している西本願寺当局は門主を筆頭に総動員かけて、 1300名余りの青年を一同に金沢市の観光会館、 そして能登の、励志館に集めたが、 大会そのものは道徳倫理の域を出ない仏…
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自己にも他人にも厳しくあれ

 昔、長い間、総裁の座に君臨してきた佐藤氏も終に引退して新しく田中氏が選ばれたが、総裁選挙でも黒いウワサが乱れ飛び、激しいなじり合いが展開された。 というものの国民から見れば目クソ鼻クソ笑うの類いで、下の下の人間の所業でしかなかった。  人間を四つに大別して、 一つには自己に寛大で他人に厳しい人、 二つには自己に寛大で他人に…
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浄土真宗で破邪すべき“邪”とは、何か

世上に浄土真宗を好戦的な宗派のように悪評する者がいる。 けだしこれは、親鸞聖人の破邪のきびしさ、激しさに対する反感に違いない。 と同時に、仏教の破邪顕正の正しい意味を知らないところから生じた悲しむべき誤解である。 親鸞聖人は今日まで、たとえ相手が何者であろうとも、微塵の妥協もせず 「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず」 の釈尊…
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歎異抄の悪人正機の意味

仏教ではよく「悪人」という言葉が使われる。 ことに悪人正機という言葉は有名であり、浄土真宗から出た言葉である。 歎異鈔に出て来る言葉であるが、世間の多くの人はこの言葉を大変誤解しているようである。 機というのは私達の姿ということである。 間違った意味は、阿弥陀仏の本願は悪人が正客であり、 どんな悪人でも必ず助けるという約束…
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親鸞聖人は他人を攻撃されなかった?

私は浄土真宗ですが、我が祖師親鸞聖人は、他人の信心をあれこれ非難したり、攻撃されたことは決してなかったと聞かされています。 ひたすら自己の信心を深め、自己を凝視して一生通されたお方と信じていますが違うのでしょうか。 そういう人は、浄土真宗の信者だといっても親鸞聖人という御方を知らない人です。 少しは知っていても聖人の一面だけし…
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器を変えても泥水は泥水

 泥水はどんな器に移しても浄水にはならない。 濾過器を通さぬ限りは泥水である。 昔、東本願寺では星谷慶縁師を新宗務総長に選んだ。 星谷師は就任にあたり 「親鸞教学の確立と組織・制度の近代化」 を謳っていたが、所詮は三森前宗務総長から星谷師に器が代っただけの事。 本願寺に充満する泥水は一向に浄化されるはずがない。 「…
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親鸞会で獲信の人大いに語る・歓喜の泉ここに沸く

 実りの秋に先立ち、今年は二人信心決定したという人があらわれている。蓮如上人も「真宗の繁盛と申すは、人の多く集まり威の大なることにてはなく候。一人なりとも人の信を取るが真宗の繁盛に候」(御一代記聞書)と仰言る通り、まさに「浄土真宗今盛んなり」である。  滋賀県湖北町の親鸞学徒は去る5月、人生究極の目的、信心決定を達成したという。親鸞聖…
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仏教の若い講師たち(若鷲よ大きく育て)

「私ははじめは親鸞会を批判の目で見ていた。しかし自分が若い時、何を思い何をおいかけていたかということを考えてみると、親鸞会の人達の進んでいる道がいかに素晴しいことであるかに気付いた。 親鸞会の仏教の講師が一斉に布教にとびたったが方々で大変な反響を呼んでいる。ある人は「極楽総出じゃ」と言って感嘆し、ある人は「ただ人ではない」と驚いている…
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富山県の妙好人・白蓮華

富山県城端町での浄土真宗の御法話で、そこの90歳のお婆さんは善知識にめぐりあって10年になる。34才の時、信心決定してより、真実の仏法を説く人を探し求めていたが84才の時ようやく善知識に出会って驚いたという。以来年ごとに浄土真宗の御法座を開いているという。この日も善知識にあったおばあさんは、喜び一杯であった。「昨年こそはちょうはい帰り(…
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正しい仏教の先生(善知識)を選び求めることの重要性

 いかに厚い宿善があっても教え導いて下される知識に遇わなければ、仏教を聞くことはできない。知識とは、仏教で、仏教の先生のことを知識という。ところが仏法を我々に説き聞かせてくれる知識に、善知識と悪知識のあることをブッダは教えられ、悪知識を捨て善知識について聞法精進しなければ助からぬことを警告された。 これを親鸞聖人は『愚禿鈔』下巻に「善知…
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顕微鏡のように悪を見逃さない仏眼

顕微鏡と仏眼「一日一善、これは私の人生の教訓であり、今日まで実施してまいりました。どんな小さな善でも勧んでやることであり、やれるのです」 これは世間で「立派な人だ」と尊敬されている人の言葉である。いわゆる世間でいう人格円満、角のとれた人間の常とするところである。  ところが一方、世界の光と仰がれている親鸞聖人は「一生造悪、蛇蝎の如き心…
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四国で浄土真宗の法話

 何ともはや、物騒千万な世の中になったもの!! 一寸ボタンを押せばそれっきり人類の終幕という滅相なものを抱えて、不安と焦燥とにいつも根こそぎ揺さぶられている。 月世界到達だ、宇宙旅行だと空にばかり気をとられている隙に、足元が地につかず肝心の日常生活に大きな空洞ができて、人間相剋暴力肯定、殺人横行と途方もない社会様相になってきた。 …
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親鸞聖人の教えを説く人は現代にいる?

南無阿弥陀仏の六字に命をかけ、親鸞聖人の真実の教法宣布に驀進する人が現代にあるだろうか? 善知識親鸞聖人の血のにじむ真実の雄叫び、徹底した破邪顕正。幾多の非難攻撃にもめげず、直実に対しあまりにもきびしく、そしてはげしく…。そんな僧侶は現在の日本ではまったく見られんない。 親鸞聖人の教えをネジ曲げ、葬式や法事を食いものにする既成教団を…
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坊主と僧侶・親鸞聖人は僧侶ではない?

今日仏教の僧侶はどの宗派でも坊主と言われることを大変嫌っています。 思うに坊主と呼ばれることに名状しがたい屈辱感を覚えるからでしょう。 坊主はよいとしても坊主にかぶせる冠詞が悪いからです。 糞坊主、生臭坊主、馬鹿坊主、嘘坊主、乞食坊主、盗人坊主、我利我利坊主、ぼこぼこ坊主、三日坊主、坊主丸儲けなど、何でもかんでも悪いことのありった…
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浄土真宗は何によって人をひきつけるか

「磁石は鉄を引きつける。何にも目には見えないけれども、見えない力が引きつける。しぜんに鉄を引き寄せる」 ──これは松下幸之助氏の言葉である。 浄土真宗は何を以って人を引きつけるか。 ──それは真実の教えであり、浄土真宗の法話の真剣な聴聞と熱意あふれる顕正の姿にあろう。 知識や能力も大事であろうが何事によらずその人の誠実あ…
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妙好人Tさんの言葉

滋賀県の親鸞会で大活躍されたTさんが、見事人生究極の目的たる阿弥陀如来の救いにあわれた。 「人身受けがたし、今すでに受く、 仏法聞きがたし、今すでに聞く、 この身今生において度せずんば 更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」 といわれるが、Tさんは人間であることの特権を最大限に生かし切り、深く後生の一大事を見つめ、真剣に仏教を聴聞…
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知られざる親鸞聖人の実像

 親鸞聖人の実像は常に隠され、聖人のみ教は常にネジ曲げられて来た。 本当の親鸞聖人の教法を開顕し全人類救済の大使命に向かって親鸞学徒は猛進している。 大衆の誤解 世間の大衆は親鸞聖人を柔和な優しい所謂、円満な人格者だと信じ込んでいる。しかしそれは、聖人の全像ではない。聖人ほど、気性のはげしい、きかん根性の強い方はなかった。 聖人の肖像…
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日本通史に出てくる浄土真宗の親鸞会

『日本通史』という日本の歴史を21冊にまとめた本があります。その時、富山大学の学長が親鸞会を取材しました。 親鸞会と本願寺で法論が何度もあったので両方を取材しています。 富山大学の教授が1年間、親鸞会へ通って浄土真宗の法話を聴聞しました。その後、本願寺にいきましたが、門前払いでした。 小沢教授たちの資料によれば、親鸞会はすべての資…
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ブッダや親鸞聖人は死後は説かれなかった?

死後の世界の存在や、霊魂の存続することについて、ブッダや親鸞聖人は、死後の世界や霊魂の存続を認められず語られなかったように思いますが如何なものでしょうか。そのような仏教観をもっている人は今日相当あるようです。しかしそれは果して正しい見解でしょうか。  ブッダが死後の世界や霊魂(仏教では霊魂という言葉は使用しませんが、仮に)の存続を認め…
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近代システムと浄土真宗

 最近、産業、政治、教育界などで盛にいわれる言葉にシステム化ということがある。極めて高度化し、複雑化した社会全体がさらに他国をぬき人間の世、開闢以来の発展成長の為に誰も彼もが、しのぎをけずって進展するための方法的仮設である。 システムという語をウエヴスター大辞典で見ると「ある共通の計画に従う、また、ある共通の目的に奉仕する多種多様な部分…
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人生の目的、絶対の幸福とは

人生究極の目的は絶対の幸福だと言われますが、絶対の幸福とはどんな幸福を言うのでしょうか。また親鸞聖人はどこにそんなことを仰言っていられるのでしょうか。仏教では幸せと言われるものを二つに分けます。一つは相対的幸福と言わるべきものと、絶対の幸福と言われるものです。 相対的幸福とは、一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦し…
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2020年の浄土真宗

偉大なる足跡を残して、浄土真宗は2020年の春を迎えた。 この一年、ますます忙しく、親鸞学徒は浄土真宗の法話を迫られるだろう。 経済的には豊かになったけれども、めまぐるしく移り変る社会環境の変化に、大衆は自己を見つめる間もなく、しのぎを削っている。 この疲れきった大衆の心を癒しきれるものは親鸞聖人の教えより他にない。 五欲に溺れ…
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激動の70年と浄土真宗

エコノミック アニマル 1969年、それは激しい変動の年であった。東大安田城の攻防戦に明け、沖縄、安保の師走選挙で暮れたが、まさに世はスピード時代、昔の10年が今の1年、一世紀が10年のテンポでめまぐるしく移り変ってゆく。 国民総生産高世界第3位、西欧先進国の倍以上もの早さで進む経済成長は物質文明全盛時代をもたらした。物質の豊かさは消費…
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親鸞聖人の教えと礼儀

礼の心は悲歎から  現代青少年はそして一般も含めて、情操の音痴であり、礼儀の白痴であると嘆いている者がある。学校教育に問題があり、教師の怠慢だと罵る者もあれば、その前に家庭教育に問題がある、お母さんの悪いのが揃っている現代ではどうしようもないなどと嘆く者もいる。  最近浄土真宗でもこの点について非常に関心が高まり日常の行動につい…
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なぜ阿弥陀仏が本師本仏なのか

阿弥陀仏を本師本仏とか、本師法王といわれる理由は何でしょうか、お尋ね致します。 阿弥陀如来は光明無量、寿命無量、智慧と慈悲の如来であることは多くのお経に明らかですが、中でも、阿弥陀仏の勝徳は、光明智慧無量であることだと、親鸞聖人は讃嘆なされています。  それは、すでにブッダが出世本懐経たる『大無量寿経』に於て「阿弥陀如来の威神光明は…
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ホモ・サピエンスは 殺しあいが好き

「ホモ・サピエンス」とは「知恵ある人」ということである。東大の脳研究所の時実(ときざね)利彦所長の『脳の話』の中に次のようなことが書いてある。 「…興奮と感激のるつぽに溶けこませた太陽の国メキシコのオリンピックもその幕をおろした。「オリンピックは勝つことではなく参加することだ」とクーベルタン男爵が教えてはいるものの、やはり祖国日本の代…
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