テーマ:親鸞

顕微鏡のように悪を見逃さない仏眼

顕微鏡と仏眼「一日一善、これは私の人生の教訓であり、今日まで実施してまいりました。どんな小さな善でも勧んでやることであり、やれるのです」 これは世間で「立派な人だ」と尊敬されている人の言葉である。いわゆる世間でいう人格円満、角のとれた人間の常とするところである。  ところが一方、世界の光と仰がれている親鸞聖人は「一生造悪、蛇蝎の如き心…
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四国で浄土真宗の法話

 何ともはや、物騒千万な世の中になったもの!! 一寸ボタンを押せばそれっきり人類の終幕という滅相なものを抱えて、不安と焦燥とにいつも根こそぎ揺さぶられている。 月世界到達だ、宇宙旅行だと空にばかり気をとられている隙に、足元が地につかず肝心の日常生活に大きな空洞ができて、人間相剋暴力肯定、殺人横行と途方もない社会様相になってきた。 …
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親鸞聖人の教えを説く人は現代にいる?

南無阿弥陀仏の六字に命をかけ、親鸞聖人の真実の教法宣布に驀進する人が現代にあるだろうか? 善知識親鸞聖人の血のにじむ真実の雄叫び、徹底した破邪顕正。幾多の非難攻撃にもめげず、直実に対しあまりにもきびしく、そしてはげしく…。そんな僧侶は現在の日本ではまったく見られんない。 親鸞聖人の教えをネジ曲げ、葬式や法事を食いものにする既成教団を…
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坊主と僧侶・親鸞聖人は僧侶ではない?

今日仏教の僧侶はどの宗派でも坊主と言われることを大変嫌っています。 思うに坊主と呼ばれることに名状しがたい屈辱感を覚えるからでしょう。 坊主はよいとしても坊主にかぶせる冠詞が悪いからです。 糞坊主、生臭坊主、馬鹿坊主、嘘坊主、乞食坊主、盗人坊主、我利我利坊主、ぼこぼこ坊主、三日坊主、坊主丸儲けなど、何でもかんでも悪いことのありった…
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浄土真宗は何によって人をひきつけるか

「磁石は鉄を引きつける。何にも目には見えないけれども、見えない力が引きつける。しぜんに鉄を引き寄せる」 ──これは松下幸之助氏の言葉である。 浄土真宗は何を以って人を引きつけるか。 ──それは真実の教えであり、浄土真宗の法話の真剣な聴聞と熱意あふれる顕正の姿にあろう。 知識や能力も大事であろうが何事によらずその人の誠実あ…
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妙好人Tさんの言葉

滋賀県の親鸞会で大活躍されたTさんが、見事人生究極の目的たる阿弥陀如来の救いにあわれた。 「人身受けがたし、今すでに受く、 仏法聞きがたし、今すでに聞く、 この身今生において度せずんば 更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」 といわれるが、Tさんは人間であることの特権を最大限に生かし切り、深く後生の一大事を見つめ、真剣に仏教を聴聞…
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知られざる親鸞聖人の実像

 親鸞聖人の実像は常に隠され、聖人のみ教は常にネジ曲げられて来た。 本当の親鸞聖人の教法を開顕し全人類救済の大使命に向かって親鸞学徒は猛進している。 大衆の誤解 世間の大衆は親鸞聖人を柔和な優しい所謂、円満な人格者だと信じ込んでいる。しかしそれは、聖人の全像ではない。聖人ほど、気性のはげしい、きかん根性の強い方はなかった。 聖人の肖像…
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日本通史に出てくる浄土真宗の親鸞会

『日本通史』という日本の歴史を21冊にまとめた本があります。その時、富山大学の学長が親鸞会を取材しました。 親鸞会と本願寺で法論が何度もあったので両方を取材しています。 富山大学の教授が1年間、親鸞会へ通って浄土真宗の法話を聴聞しました。その後、本願寺にいきましたが、門前払いでした。 小沢教授たちの資料によれば、親鸞会はすべての資…
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ブッダや親鸞聖人は死後は説かれなかった?

死後の世界の存在や、霊魂の存続することについて、ブッダや親鸞聖人は、死後の世界や霊魂の存続を認められず語られなかったように思いますが如何なものでしょうか。そのような仏教観をもっている人は今日相当あるようです。しかしそれは果して正しい見解でしょうか。  ブッダが死後の世界や霊魂(仏教では霊魂という言葉は使用しませんが、仮に)の存続を認め…
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近代システムと浄土真宗

 最近、産業、政治、教育界などで盛にいわれる言葉にシステム化ということがある。極めて高度化し、複雑化した社会全体がさらに他国をぬき人間の世、開闢以来の発展成長の為に誰も彼もが、しのぎをけずって進展するための方法的仮設である。 システムという語をウエヴスター大辞典で見ると「ある共通の計画に従う、また、ある共通の目的に奉仕する多種多様な部分…
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人生の目的、絶対の幸福とは

人生究極の目的は絶対の幸福だと言われますが、絶対の幸福とはどんな幸福を言うのでしょうか。また親鸞聖人はどこにそんなことを仰言っていられるのでしょうか。仏教では幸せと言われるものを二つに分けます。一つは相対的幸福と言わるべきものと、絶対の幸福と言われるものです。 相対的幸福とは、一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦し…
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2020年の浄土真宗

偉大なる足跡を残して、浄土真宗は2020年の春を迎えた。 この一年、ますます忙しく、親鸞学徒は浄土真宗の法話を迫られるだろう。 経済的には豊かになったけれども、めまぐるしく移り変る社会環境の変化に、大衆は自己を見つめる間もなく、しのぎを削っている。 この疲れきった大衆の心を癒しきれるものは親鸞聖人の教えより他にない。 五欲に溺れ…
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激動の70年と浄土真宗

エコノミック アニマル 1969年、それは激しい変動の年であった。東大安田城の攻防戦に明け、沖縄、安保の師走選挙で暮れたが、まさに世はスピード時代、昔の10年が今の1年、一世紀が10年のテンポでめまぐるしく移り変ってゆく。 国民総生産高世界第3位、西欧先進国の倍以上もの早さで進む経済成長は物質文明全盛時代をもたらした。物質の豊かさは消費…
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親鸞聖人の教えと礼儀

礼の心は悲歎から  現代青少年はそして一般も含めて、情操の音痴であり、礼儀の白痴であると嘆いている者がある。学校教育に問題があり、教師の怠慢だと罵る者もあれば、その前に家庭教育に問題がある、お母さんの悪いのが揃っている現代ではどうしようもないなどと嘆く者もいる。  最近浄土真宗でもこの点について非常に関心が高まり日常の行動につい…
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なぜ阿弥陀仏が本師本仏なのか

阿弥陀仏を本師本仏とか、本師法王といわれる理由は何でしょうか、お尋ね致します。 阿弥陀如来は光明無量、寿命無量、智慧と慈悲の如来であることは多くのお経に明らかですが、中でも、阿弥陀仏の勝徳は、光明智慧無量であることだと、親鸞聖人は讃嘆なされています。  それは、すでにブッダが出世本懐経たる『大無量寿経』に於て「阿弥陀如来の威神光明は…
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ホモ・サピエンスは 殺しあいが好き

「ホモ・サピエンス」とは「知恵ある人」ということである。東大の脳研究所の時実(ときざね)利彦所長の『脳の話』の中に次のようなことが書いてある。 「…興奮と感激のるつぽに溶けこませた太陽の国メキシコのオリンピックもその幕をおろした。「オリンピックは勝つことではなく参加することだ」とクーベルタン男爵が教えてはいるものの、やはり祖国日本の代…
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信行両座の諍論とは(三大諍論)信心か念仏か

親鸞聖人が法然上人の御弟子であった時に、その法友達と三度も激しい諍論をなされたということを、しばしばお聞きしますが、どんなことで諍論なされたのでしょうか。 第三の親鸞聖人の諍論は信行両座の諍論といわれているものです。これは、折角聖道自力の仏教が方便であることを知らされて多生にもあい難い阿弥陀如来の本願に遇い、同じく阿弥陀如来一仏を礼拝…
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仏教は何のためにあるのか

本願寺の責任といえばそれまでであるが、仏教を誤解して葬儀などの死人のものとしている者が世間には余りにも多い。 だから私は仏法をことさら求めなくてもよい。人よりは真面目な生活を送っているし、誰とも仲良く、ケンカ争いもしない、又家庭も円満におさまっているからたとえ死んでもそんな悪いところへは行かんだろうという人をよくみかける。  しかし法…
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信心同異の諍論とは

親鸞聖人が法然上人の御弟子であった時に、その法友達と三度も激しい調論をなされたということを、しばしばお聞きしますが、どんなことで諍論なされたのでしょうか。 聖徳太子を尊敬され「和をもって貴しと為す」の精神で一生貫かれた親鸞聖人に激しい大諍論が三回もあったということは信じられないことかも知りませんが事実なのです。これを聖人の三大諍論とい…
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物質天国は幸せ?

昔、国立統計数理研究所が日本人の宗教的態度について世論調査をしたところ、(同じ調査をフランスが欧米八ヶ国で行った)「この世に神や仏がいるか」の問いに、肯定するもの欧米は70〜80%、日本は24%だそうで、次いで「この世は幸福になって来たか」の問いに、肯定は欧米が30〜40%に対し日本は70〜80%だった。  詳しくは判らないが大変面白…
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まず心の臨終を

浄土真宗には二度の臨終、二度の葬式があると聞きましたが、どんなことでしょうか。  二度の臨終といいますのは、心の臨終と肉体の臨終のことです。故に、二度の葬式というのも同じく心と肉体の葬式をいいます。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の本願を信ずる直前に我々は一度死ぬのだと仰言っています。その直後、生きかえった時が阿弥陀如来に救われた時であると…
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親鸞聖人と柴田勝家

まことの厳しさと私情の恐ろしさ親鸞聖人は、真実の為には吾子をも勘当 建長8年5月29日、84才の親鸞聖人が、遠く関東に布教していた吾子善鸞に義絶状を送り「あさましさ、申すかぎりなければ、いまは親ということあるべからず。子と思うこと、おもいきりたり。かなしきことなり」と親子の縁をキッパリと断ち切っておられる。  善鸞が、「わしは父、親…
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阿弥陀如来に抱かれて尊き親鸞学徒の皆様へ

「生き仏、如何に攻撃受けようと ビクともしない金剛心」 尊き偉大なる善知識の御心中を歌わせて頂きました。尊き親鸞学徒の皆様、この広い世界に善知識と名のつく人は一体どれだけ居なさることでしょう。生きる意味は信心決定ただ一つあるのみ、後生の一大事程新しい生きた言葉はありません。 その新しい広大なる南無阿弥陀仏の真実を、夢の世界にたわむれてマ…
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ねこもしゃくしも 歎異抄というが正しく解説した唯一のサイトは……

歎異抄(たんいしょう)は明治の傑物、清沢満之が世に大きく紹介し、以後誰も彼も親鸞聖人といえば歎異抄、歎異抄といえば親鸞聖人とイメージが湧く程やかましくなっている。 ところで、先日自ら学あると自負している某浄土真宗の僧侶とたまたま邪教の話などから歎異抄の話に移るに及んで驚いた。 それは、あの歎異抄を読んで「ただ念仏して弥陀に助けられ……
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浄土真宗の祖師・親鸞聖人の流刑の真因とは

 浄土真宗の祖師、親鸞聖人は35才の時、住みなれた京都から追放され、越後(今の新潟県の直江津)へ罪人として流刑になったことは周知の事実である。そうであれば、その理由は何んであったのであろうか。親鸞聖人がどんな悪事をなされた結果なのであろうか。流刑という極刑にあわれた真の原因は何か。親鸞聖人の御教えを絶対不二の妙法と尊崇し聴聞する我々にと…
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信心獲得は誰が決めるのか

信心獲得できねば必堕無間と言われますが、信心獲得できたかどうか誰が決めるのですか。また獲信できた者はお浄土へゆき、出来ない者は地獄へ堕ちるのでしょうか。如来さまは、そんな片手落なことをなさるでしょうか。信心というのは救われるということを信ずるところから始まると思いますが違いますか。私は「如来さまは何もかもお見透しじゃぞ」と知らされること…
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自分の魂の責任は自分でもて

 もしあの時あの会社に入らなかったら、もしあの時あの人にあわなかったら、もしあの時親鸞聖人の教えに出会わなかったら。 今私が親鸞聖人の真実の教えを聞く御縁に恵まれたことをふり返って見るとき、何の運命のいたずらかと、ただ不思議に思うしかない。 いつかどこかで一枚の歯車のカミ合わせが狂ったとしたら現在の自分はあったろうか。  これ…
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親鸞聖人はきびしい方か

 親鸞聖人という方はやさしい仏さまのようなお方だと私は今まで思っていましたが、浄土真宗の法話を聞くと、どうも聖人に対する考えが変って、大変きびしい方のように思われるようになりました。世間一般の人の考えている親鸞聖人は間違っているのでしょうか。  親鸞聖人には、きわだった二面があります。一面は大変やさしい温い、いわゆる仏さまのような面で…
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なぜ浄土真宗で親鸞会だけ本尊が名号なのか

浄土真宗の御本尊のことについてお尋ね致します。本願寺や浄土真宗の各末寺では阿弥陀如来の木像を御本尊として安置してありますが、親鸞会館は御本尊は御名号になっています。浄土真宗の家庭もほとんど絵像を御本尊としていますが、なぜ親鸞会だけが浄土真宗でありながら御名号を御本尊となさっているのでしょうか。非難される理由にもなるのではないでしょうか。…
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学生の混乱

東大生といえば昔からエリート中のエリートとして自他共に認められてきた。そのエリートであるべき学生の昨今の混乱ぶりは一体どうしたことか。理由はともあれ、学生が自らの手で授業を放棄し、バリケード云々にいたってはすでにその方向を見失っている。東大生がそうであるからまして他の学生においておやである。角材にヘルメットは序ノ口、月光仮面よろしく覆面…
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