テーマ:本願寺

器を変えても泥水は泥水

 泥水はどんな器に移しても浄水にはならない。 濾過器を通さぬ限りは泥水である。 昔、東本願寺では星谷慶縁師を新宗務総長に選んだ。 星谷師は就任にあたり 「親鸞教学の確立と組織・制度の近代化」 を謳っていたが、所詮は三森前宗務総長から星谷師に器が代っただけの事。 本願寺に充満する泥水は一向に浄化されるはずがない。 「…
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真宗を死の商人から護れ

商人の鉄則  たとえそれが一介の行商人であろうと老舗の主人であろうと、いや老舗であればある程、商人といわれる人は食物であれば調理の仕方、食べ方、或いは道具であれば使い方、機能をマスターして商いをする。 信用を重んじる店ほど上手な使い方を教えて売ってくれるものである。  真実の仏法を伝える者にとっては、仮にこれを商売とするな…
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日本通史に出てくる浄土真宗の親鸞会

『日本通史』という日本の歴史を21冊にまとめた本があります。その時、富山大学の学長が親鸞会を取材しました。 親鸞会と本願寺で法論が何度もあったので両方を取材しています。 富山大学の教授が1年間、親鸞会へ通って浄土真宗の法話を聴聞しました。その後、本願寺にいきましたが、門前払いでした。 小沢教授たちの資料によれば、親鸞会はすべての資…
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仏教は何のためにあるのか

本願寺の責任といえばそれまでであるが、仏教を誤解して葬儀などの死人のものとしている者が世間には余りにも多い。 だから私は仏法をことさら求めなくてもよい。人よりは真面目な生活を送っているし、誰とも仲良く、ケンカ争いもしない、又家庭も円満におさまっているからたとえ死んでもそんな悪いところへは行かんだろうという人をよくみかける。  しかし法…
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