テーマ:聴聞

聞即信とはどういうことか

浄土真宗の御法話に、よく聞即信という言葉が使用されますがどんなことでしょうか。  お尋ねの聞即信という言葉は阿弥陀仏が我々を絶対の幸福に救済して下される時のことを表わす言葉で、浄土真宗にとっては大変大切な言葉です 阿弥陀仏のお誓いは「聞其名号信心歓喜」とありますように、聞いて信ずる者を助けるという御約束ですから、聞くということが…
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真剣な聴聞 からだにかけず心にかけよ

 聴聞にまさる宿善はないといわれる。 しかしただ浄土真宗の法話に連なってさえいればよいというものではない。 どのような心で聴聞すればよいのか我々の先覚は、 衣食忘れて聞けと端的に教えている。 服装に心をかけたり、食事のことに気がかかっているようでは真剣な聴聞とはいえない。  子供が学校からの帰途、交通事故にあって何々病院へ…
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仏法の重さが知らされるまで苦労して求めよ

「いたずらに過ぐる月日は多けれど法を求むる時ぞ少なき」 我々が阿弥陀仏の救済にあずかる第一条件は宿善である。宿善がなければ絶対他力大信心を獲得することはできない。病気になれば医者まかせ、車に乗れば運転手まかせというように後生の一大事の助かるかどうかはひとえにこの宿善の有無によって決する。  されば宿善は待つに非ず、求むるものなりと親鸞…
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信心決定して大いに笑って愉快に暮そう

笑いは人間の特権です。 昔から「笑う門には福来る」といわれます。アメリカのカーネギーは「ほほ笑みは人間が持つ、独特の自己表現法である。この貴い天の賜ものを正しく活用することは、人間のもっている一大特権である」と喝破しています。 そういえば、サルほど人間に近い動物はいないがサル笑いの事実はありません。猫も笑わないし、牛も笑いません。馬はち…
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他力本願とはどんなことか

弥陀の大願力のみを指す 他人や自然の力ではない私は、仏教は大切なものだとは思っていますが、他力の仏教はきらいです。他の力にすがらねば生きてゆけないような無気力な宗教は我々青年の意気をそぐものではないでしょうか。しかし、先生のたくましさを見ると他力とはどんなものか判らなくなってしまいます。他力本願とは一体どんなことをいうのでしょうか。 …
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私は仏教の講師になります!

先生始めて、お便りさせて頂きます。 私が先生にお会いさせて頂いてから早や一年たちました。 一年間虚しく無意味に過して来たことが残念でなりません。 今やっと目のさめた思いです。 今は教学試験を受けるべく一生懸命に浄土真宗の法話を聴聞し、頑張っております。 それでこれから何年後になっても仏教の講師とならせて頂き真実の仏法一筋に生き…
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一大事に気づく人一人でも浄土真宗の大繁昌

見てこぬ浄土がハッキリするぞ 女性の身をもってアメリカで3人目の、ノーベル賞受賞者にかの有名なパール・バックという人がいる。 小説「大地」の作家である。 彼女はアメリカで生れて3ヶ月目両親の職業の関係で中国に渡った。 だから彼女の記憶はアメリカではなく、揚子江のほとり、靖江府の家から始まる。 彼女は素晴しい母や母に救われた…
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よく合点出来たのが信心か

よく聞いてよく合点できたのが信心だと思っていますが、いかがなものでしょうか。 結論から申しますと合点と信心は全く別のものです。 理論と実際、演習と実戦のように異ったものです。 特に他力の真実信心は一切の合点や埋屈が粉砕された時でなければ獲得できません。 世間のことでも埋屈と実際は如何に食い違うか、異ったものであるかを例を…
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ああわが祖師親鸞聖人(聖人の獲信――吉水の禅房より)

親鸞聖人 この親鸞は山を捨て、無動寺の住職も捨てました。しかし親鸞は聞いても聞いても弥陀の一声が聞こえません。胸の中が晴れません。 聴聞の最中に女が心の中に現れ思ってはならぬことが思われ考えてはならぬことまで考えられて来るのてこさいます。 法然上人 親鸞よ形の上で捨てたつもりでは間にあわぬぞ、弥陀の一声がとどかねばためじゃ、晴れ…
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黒い心と暗い心・煩悩心と疑情

我々人間に黒い心と暗い心とがあるとお聞きしましたが、どんな心でありましょうか。 救われるとその心が、どのように変るのかも教えて下さい。 黒い心といいますのは仏教では衆生性得の機といわれている心で死ぬまで無くならない心です。 いわゆる煩悩心です。 なければないでほしいほしい、あればあるでまだほしいほしいと思う欲…
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無常の世界で不安をごまかしながら生きている?

火宅無常の世にありながら、その不安と矛盾をごまかして安易な座にすわりこもうとする私達に、その不安矛盾をごまかすことなく正視し、全く助かりようもない私達を真実の世界に目覚めさせる為に浄土真宗の法話に命をかけていらっしゃる親鸞会の先生の御姿に心の底から頭が下ります。 浄土真宗の法話を真剣に聴聞いたします。 何とぞ御体をくれぐれも大切に遊…
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無常の虎が後ろに迫っているのに何をもたもたしているのだ

 この度は尊い御法莚に遇わせて頂き誠に有難うございました。 また尊い御礼状まで頂き涙しております。 先生におまかせ致しますと言って聴聞させて頂きました浄土真宗の御法話。 私一人と聞かせて頂きました。 見聞知の阿弥陀さまはお見通しでした。 無常の虎が後ろに迫って居るのに何をモタモタしているのだ。 人の事ではないぞ、誰に何と言わ…
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心の底までお見ぬきでの御法話

この度は久々に御法話にあわせて頂きまして有難うございました。 愚かな私の心の底までお見ぬきで御法話下さる先生、 また青年部の方の体験談、身にしみて聴聞きせて頂きました。 誠に誠に有難うございました。 この上は一座一座が聞きおさめの覚悟で聴聞させて頂き、 勿体ないこの阿弥陀如来の御本願を家族一同に是非すすめられるよう 浄土真宗…
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親鸞会の浄土真宗の法話で阿弥陀仏に救われました。

私は阿弥陀如来に救われました。 こんな私を完全に助けて下さいました。 この時の慶びは何といったらよいでしょう、ただ感謝と懺悔しかありません。 ああうれしいなア、うれしいなア、私一人の阿弥陀仏であったと叫けばずにはおれません。 阿弥陀仏の本願まことであった。絶対助からぬ奴が助かったのです。  親鸞会の浄土真宗の法話に嘘は…
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妙好人からの手紙

妙好人の手紙である。 南無阿弥陀仏様 御師匠さまには御休息のいとまもなく御活躍の程がしのばれておいたわしゅ存じます。 南無阿弥陀仏と共に南無阿弥陀仏の御活躍、 説けども尽きぬこの六字の大功徳の広大さに暑さ位は吹きとんで 大満足の故に日夜衆生可愛いの心一杯で一切を憐愍下さっての日々、 いつもこの愚鈍な私にも味わわさせて…
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老骨に鞭打って滋賀会館完成

 滋賀県に会館が欲しい、親鸞会の先生のお話をゆっくり聞き聴聞できる会館が欲しい。 これは老いの私の終生の願いであり全滋賀親鸞学徒の願いでありました。  それが先生はじめ親鸞学徒の皆様の熱い御心いりで、 如来の後押しでいよいよ完成いたしました。 滋賀県の幹部の皆さん、親鸞学徒の皆さん、 そして全親鸞会の御一同様有難とうご…
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親鸞会の親睦旅行の様子

先生尊い御法の為に、いたらぬ私の為に御苦労をかけ申し訳けございません。 この度の親睦旅行に参加させて頂き尊い御縁を頂きました。 あの交通の激しいカーブの多い道を先生はいつも運転して滋賀県へおいで下され、 浄土真宗の法話にて一時間も休む時もなく真剣にお話し下さるのだと 先生の御恩と御苦労を身に感じ胸が一杯でございました。 …
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どうしても聞けないときは?

勤行の励行 最も深き宿善となる御縁は熱心な聞法にあることは判った。 しかしそれは聞法の機縁、浄土真宗の法話のある時のことである。 もし聴聞しようにも法縁がない時にはどうすればよいかまず常に仏に親近することである。 朝晩の勤行の励行、真剣な礼拝が大切である。 夜のねざめにも瞼に浮ぶ位に礼拝せよと常に励められている。 …
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信心決定 宿善まかせ 聴聞の方法

 これまで宿善とは後生を大事に思い仏法を尊く思う心、 即ち聞法心であるというところまで述べた。 次に問題となる処はいかに宿善が厚くなるように求めるかということである。 聴聞に極まる  どう聞けば良いのか、どれだけ聞いたら判るのかと今日もだめ、 根性玉も空っぽ、弁当ガラも空っぽ、地獄と聞いても驚ろかず、 極楽と…
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ほかに比べようのない新聞

親鸞会の先生には御尊体御健勝にて明け暮れ懸命なる御説法に御活躍遊ばされていること 深く感謝申し上げます。 七月の御法縁に参らせて頂き先生のきびしい 浄土真宗の御法話をお座を重ねて聴聞させて頂き 私のとんでもない心得ちがいの数々を知らされまして 心から悔いる思いが致します。 底知れぬ罪悪、はげしい無常の嵐今更の…
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浄土真宗親鸞会滋賀会館建設

親鸞学徒すでに熟知の如く浄土真宗親鸞会滋賀会館が建設された。 ここに改めてその全容を記し親鸞会聖使命達成の一大拠点となる同会館を明らかにする。 ここは祖師聖人ゆかりの地、 比叡の山のみもと眼下には鏡の如く波静かな琵琶の湖水をながめ、 背にはみどり濃き山々をひかえ東西交通の要地米原駅に程近い。 この絶景の地に建立される滋…
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浄土真宗で唯一発展し続ける親鸞会

降誕会は例により素晴しい盛会裡に修了した。 集まる者、東京に大阪に近県はいうに及ばず。 おかげでこの会館がせまいどうしてくれると盛り上る叫び声は次第に大きくなってきた。 座談会場という意味で建てたこの建て物は 大法会大集会をするには間に合わなくなってきた。 ここでどうしても大発展の下準備ということになり 親鸞会五ヶ年…
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社説 その角がとれると思うとるか(庄松)

見事な一文不知の真実体得  四国へ渡れば、有名な八十八ヶ所巡りとか、 琴平宮とか、所謂観光客の目をとらえ耳をとらえる材料は多い。 そして土地の人に尋ねると石松代参で有名ななどと歌の文句のように説明し語ってくれる。 たまたま話が、有名な庄松同行はと尋ねると、 「さあー、よく判りませんね、何でも庄松というのは大分アホやった…
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社説:まず朝晩のおつとめを励行しよう

「あわれあわれ、存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり。 まことに宿善まかせとはいいながら述懐の心しばらくも止むことなし」  蓮如上人の御遺言である。 信心決定することは宿善まかせとまで断言なされている。 宿善というのは過去世の仏縁のことであるが、 過去に仏縁浅き者は現在に於て真剣に宿善は求められねば…
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社説もっと我我は教学の重要性を認識しよう

浄土真宗の道俗の多くは、一文不知の尼入道にドン坐り、 一向に教学を教えようともしないし、 また勉強しようともしない。 それどころか、学問と信心とは全然別で、 学問すると信心がおろそかになったり、 聞法求信の邪魔になるようにさえ考えている者が多いが、 とんでもない誤りである。 だから聞法しても忘れるのを手柄のように吹…
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過去の因を見よ

ある母親が言っていました。 『私に五人の子供がおりますが上の四人はそろって気がやさしく 親の言うことにすなおなんですが 一ばん末の男の子だけが全く反対で 何でもかんでも親の言うことにさからって困ります。 この間だもお母さんなんか死んだって少しも悲しくないなんて言うのです。 ……ところがよく考えて見ますとこれも因果の道理で、 …
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忘れるか懺悔か・浄土真宗の聞法

浄土真宗には 「なんぼきいても、すぐ忘れる」 「忘れても、忘れぬ弥陀がある故に、忘れる私は、この機このまま」 と丁度忘れることを手柄のようにいいふらし、 覚えている奴は間違っているかのようにさえ考えている者が多い。 とんでもないことだ。 真剣に聞法していない証拠だ。 未来永劫沈むか浮かぶかの大問題を 自覚して聞い…
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浄土真宗をなめるな

『こんなに一生懸命求めているのに、阿弥陀仏はなぜ救けてくれないのか?』 お前は一生懸命はどのくらい一生懸命なんだ!! 死ぬか、生きるか大死一番の仏法なるぞ!! 久遠劫より喝きつづけ泣きつづけて来た不治の業病なるぞ!! 今それが弥陀願力の一念でたちどころに抜苦救済されるのだ、絶対安心されるのだ。 何という体験!! 何と…
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すでに使者は来ているではないか

 地獄に堕つるとエンマ大王ハッタとばかり睨みつけて破れ鐘のような声で叱るそうです。 「お前は娑婆にいた時、頭は白く歯はぬけ、眼はくぼみ、肌はシワより、 身体がふるい、気力衰え、うめきつつ杖にすがって歩いていた老人を見なかったか、 これこそワシのつかわした第一の使者だったのだ」 「お前は又娑婆にいた時、病人を見なかったか。…
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仏法と世法

仏教を求め真実絶対の幸福を頂かろうと思う者は、 まず世法の上に仏教あることをよくよく知らなければならない。 ここで世法というのは世間一般の道徳や礼儀、仁義、法律、習慣、人情等をいう。 これらの世法は迷いの人間が勝手にその時、 その場に応じて創ったものであるから時代や場所が変ると通用しなくなることもあれば 反って我々の幸…
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