信心獲得したらハッキリするものかどうか 信心決定の自覚は誰にでもハッキリするものだとのことですが、ハッキリする者も千人に一人位はあるかも知らないが、大体はハッキリしないのが本当らしい。故曾我量深師に直接聞いて見たのですが、 「信心を獲得したと、そんなにハッキリ自覚できるものではない。 知らず知らずいつとはなく尊い心境になって行くものだ」 との仰せでした。 大変大切… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月04日 続きを読むread more
臨終に三つあり(三位の臨終) 「あの人は安らかに死んでいったから極楽まちがいない」と言っている人がいる。 しかし平生の時、信心決定していない人は、どれだけ静かな臨終であって、も、一息切れたら無間地獄へ真逆様である。ならば「何故あのような安らかな死に方ができるのか」と言う疑問を抱く人もあるだろう。しかし臨終にも三段階ある事を知れば、この疑問も氷解するであろう。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年07月22日 続きを読むread more
信心獲得しても分からない人もあるのか?(本願寺vs親鸞会) 本願寺の輔教の学階を持つ僧侶が、「真実の他力の信心を獲得している人でも、自分が信心を獲得しているということが判る人もある。判らぬ人もある。信心決定しておっても凡ての者が信心決定しておることを、自覚出来るものではない」と言ったので、親鸞会の講師が、このように質問した。 貴方は「他力の信心を獲得した人には、どんな人に必ず、二種深信が立つ。… トラックバック:0 コメント:0 2020年07月16日 続きを読むread more
七慢 「一つとせ、必定地獄と聞きながら、ウヌボレ心にだまされて、堕つるこの機ということは、ホンニ今まで知らなんだ」という信心かぞえ歌があるが、このウヌボレ心は本当にやっかいなシロモノである。昔から「他人の事を言っている時はみな悪口、自分の事を言っている時は必ず自慢話」と言われるが一体どんなウヌボレ心を我々は持っているか、釈尊からお聞きしてみま… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月02日 続きを読むread more
親鸞会で獲信の人大いに語る・歓喜の泉ここに沸く 実りの秋に先立ち、今年は二人信心決定したという人があらわれている。蓮如上人も「真宗の繁盛と申すは、人の多く集まり威の大なることにてはなく候。一人なりとも人の信を取るが真宗の繁盛に候」(御一代記聞書)と仰言る通り、まさに「浄土真宗今盛んなり」である。 滋賀県湖北町の親鸞学徒は去る5月、人生究極の目的、信心決定を達成したという。親鸞聖… トラックバック:0 コメント:0 2020年05月19日 続きを読むread more
妙好人の詠んだ歌が葉書に書いてあった 先日53才で信心決定された妙好人の方からはがきが届きました。そこには、花笠音頭の節で尊い次の阿弥陀如来の歌が書かれていました。一、俺の胸底ちょうと見やしゃんせ 弥陀の思案の願がある 二、弥陀を知ったその時からは 生死の苦界で娑婆遊び 三、弥陀よ喜べ六字の鈴が 胸に鳴る鳴る弥陀の声 四、弥陀のお慈悲を、 食てみ… トラックバック:0 コメント:0 2020年04月26日 続きを読むread more
富山県の妙好人・白蓮華 富山県城端町での浄土真宗の御法話で、そこの90歳のお婆さんは善知識にめぐりあって10年になる。34才の時、信心決定してより、真実の仏法を説く人を探し求めていたが84才の時ようやく善知識に出会って驚いたという。以来年ごとに浄土真宗の御法座を開いているという。この日も善知識にあったおばあさんは、喜び一杯であった。「昨年こそはちょうはい帰り(… トラックバック:0 コメント:0 2020年04月18日 続きを読むread more
浄土真宗の掟とは 蓮如上人が『御文章』に、しばしば「掟」ということを仰言っています。また『領解文』の最後にも「この上は定めおかせらるる御掟一期をかぎり守り申すべく候」と私達は誓約しておりますが、浄土真宗の「おきて」とは、如何なることでしょうか。 このような質問を非常によく頂きます。それだけ『御文章』に親しんでいられる人が多いということで誠に結構なことで… トラックバック:0 コメント:0 2020年03月26日 続きを読むread more
過去をふり返って 阿弥陀仏は遠い遠い昔から何とかして私を救うてやろうと念じ続けておられます。 また善知識は「後生の一大事」をくる日もくる日も叫び続けて下さいます。 にもかかわらずこれまで虚しい過ぎ去ってしまっています。 ふり返ってみると後生の問題を軽くみて、欲望と怒りにひきずりまわされた顛倒の毎日でした。 そこに業の深さを感じ、無始よりの悪業の… トラックバック:0 コメント:0 2020年03月23日 続きを読むread more
人間性の回復とは(幸せとは何か) 「2020年は人間性回復の年である」と年頭に述べた会社の社長がかなり多かったと聞くが、果して本当に「人間性回復」の手立てができているのだろうか、言葉だけはあっても、その実、ないのではなかろうかと思うのである。 そんな折、正月元旦、テレビのモーニングショーで「幸せとは何か」というテーマで各界を代表する有識者が討論しておりました。人間性… トラックバック:0 コメント:0 2020年03月04日 続きを読むread more
信心をとりて礼にせよ 蓮如上人の真面目「無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて、礼にせよ」多勢の人が歳末のお礼に来た時蓮如上人が仰言ったお言葉である。 生涯、「信をとれ信をとれ」「一日も片時も早く、信心決定せよ」と叫びつづけられた蓮如上人の面目躍如としてあらわれているではないか。「信心をとる」とは阿弥陀如来の大願業力によって絶対の幸福になるというこ… トラックバック:0 コメント:0 2019年10月02日 続きを読むread more