テーマ:後生の一大事

真剣な聴聞 からだにかけず心にかけよ

 聴聞にまさる宿善はないといわれる。 しかしただ浄土真宗の法話に連なってさえいればよいというものではない。 どのような心で聴聞すればよいのか我々の先覚は、 衣食忘れて聞けと端的に教えている。 服装に心をかけたり、食事のことに気がかかっているようでは真剣な聴聞とはいえない。  子供が学校からの帰途、交通事故にあって何々病院へ…
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仏法の重さが知らされるまで苦労して求めよ

「いたずらに過ぐる月日は多けれど法を求むる時ぞ少なき」 我々が阿弥陀仏の救済にあずかる第一条件は宿善である。宿善がなければ絶対他力大信心を獲得することはできない。病気になれば医者まかせ、車に乗れば運転手まかせというように後生の一大事の助かるかどうかはひとえにこの宿善の有無によって決する。  されば宿善は待つに非ず、求むるものなりと親鸞…
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人は何のために仏教を求めるのか

 人は何のために仏教を求めるのか。それは、仏法を求める目的は生死の一大事、即ち、後生の一大事の解決をする為です。仏法の内容も凡ての人々に生死の一大事、後生の一大事のあることを教え、その解決の方法を教示なされたものばかりです。  釈迦一代の教え、八万の法蔵といわれる一切経も、この一大事を我々に如何に知らせるか、この一大事をいかに解決する…
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浄土真宗の僧侶が原理研究会に寺を貸す

 このところ、浄土真宗に対する非難攻撃、風当りは強いがついでにもう一つ。 最近或る寺がこともあろうに外道も外道、キリスト教に根をもつ新興宗教「統一原理研究会」に寺を貸したということが明らかになった。あいた口がふさがらないとはこのことをいうのか、金にさえなれば何でもするといった変節ぶりは乞食にも劣るあさましい行為ではないか。これでは落目と…
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阿弥陀如来の本願に救われました。

いつも尊い阿弥陀如来の御本願をお説き下さいます善知識の雄々しく力強いみ声が私の心の奥底に焼きついて忘れられません。 昨年十二月阿弥陀如来の光明の縁に催されたのも善知識のおかげと心より慶ばずにいられません。 そして一人でも多くの人々に真の善知識から聞かなくては信心獲得はできないことを叫ばずにいられません。 次の手紙は妹が迷っていたの…
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