テーマ:後生の一大事

聞法の秋

秋がきた。 そろそろ求道にもアキが来て足を出している人を見かける。 「なかなか難しいねえ」 「阿弥陀様はどこをむいておられるのか」 ああ!後生の一大事を何と心得ているのだろう。 心なき畜生でさえも、家の大事となれば命を捨てるのに、我々は一日として寝食を忘れ、命を投げ出して仏法を求めたことがあるだろうか。 くる日もくる日も…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

過去をふり返って

 阿弥陀仏は遠い遠い昔から何とかして私を救うてやろうと念じ続けておられます。 また善知識は「後生の一大事」をくる日もくる日も叫び続けて下さいます。 にもかかわらずこれまで虚しい過ぎ去ってしまっています。 ふり返ってみると後生の問題を軽くみて、欲望と怒りにひきずりまわされた顛倒の毎日でした。 そこに業の深さを感じ、無始よりの悪業の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

聞法相続の大切なること

 我々の先覚者は最も宿善厚くなる道として、 一には骨折って聞け、 二には衣食忘れて聞け、 三には間断なく聞けと教えていられる。 いくら真剣に聴聞しても、我々の魂は無始流転のしぶとさであり、 三世の諸仏がアキレ果てたシロものであるから仲々聞いてはくれない。 されば間断なく聞けとお勧めになっている。 親鸞聖人も 「大菩提…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

妙好人Tさんの言葉

滋賀県の親鸞会で大活躍されたTさんが、見事人生究極の目的たる阿弥陀如来の救いにあわれた。 「人身受けがたし、今すでに受く、 仏法聞きがたし、今すでに聞く、 この身今生において度せずんば 更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」 といわれるが、Tさんは人間であることの特権を最大限に生かし切り、深く後生の一大事を見つめ、真剣に仏教を聴聞…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

真剣な聴聞 からだにかけず心にかけよ

 聴聞にまさる宿善はないといわれる。 しかしただ浄土真宗の法話に連なってさえいればよいというものではない。 どのような心で聴聞すればよいのか我々の先覚は、 衣食忘れて聞けと端的に教えている。 服装に心をかけたり、食事のことに気がかかっているようでは真剣な聴聞とはいえない。  子供が学校からの帰途、交通事故にあって何々病院へ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仏法の重さが知らされるまで苦労して求めよ

「いたずらに過ぐる月日は多けれど法を求むる時ぞ少なき」 我々が阿弥陀仏の救済にあずかる第一条件は宿善である。宿善がなければ絶対他力大信心を獲得することはできない。病気になれば医者まかせ、車に乗れば運転手まかせというように後生の一大事の助かるかどうかはひとえにこの宿善の有無によって決する。  されば宿善は待つに非ず、求むるものなりと親鸞…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

人は何のために仏教を求めるのか

 人は何のために仏教を求めるのか。それは、仏法を求める目的は生死の一大事、即ち、後生の一大事の解決をする為です。仏法の内容も凡ての人々に生死の一大事、後生の一大事のあることを教え、その解決の方法を教示なされたものばかりです。  釈迦一代の教え、八万の法蔵といわれる一切経も、この一大事を我々に如何に知らせるか、この一大事をいかに解決する…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

浄土真宗の僧侶が原理研究会に寺を貸す

 このところ、浄土真宗に対する非難攻撃、風当りは強いがついでにもう一つ。 最近或る寺がこともあろうに外道も外道、キリスト教に根をもつ新興宗教「統一原理研究会」に寺を貸したということが明らかになった。あいた口がふさがらないとはこのことをいうのか、金にさえなれば何でもするといった変節ぶりは乞食にも劣るあさましい行為ではないか。これでは落目と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

阿弥陀如来の本願に救われました。

いつも尊い阿弥陀如来の御本願をお説き下さいます善知識の雄々しく力強いみ声が私の心の奥底に焼きついて忘れられません。 昨年十二月阿弥陀如来の光明の縁に催されたのも善知識のおかげと心より慶ばずにいられません。 そして一人でも多くの人々に真の善知識から聞かなくては信心獲得はできないことを叫ばずにいられません。 次の手紙は妹が迷っていたの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more