テーマ:念仏

浄土真宗の19願、20願、18願の人とは

浄土真宗の人達は19願の人、20願の人、18願の人といわれる、三様の人があると聞いておりますが、これはどんなことでしょうか。また、どのように違うのでしょうか。阿弥陀仏の建立なされた本願は48ありますが、その中の18番目は最高無上の誓願でありますから選択本願とか王本願といわれ平生業成が約束されています。 平生業成といいますのは死んでから助…
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念仏の分類を聞いて続々と親鸞学徒が増えている

3月19日福井県武生での浄土真宗の御法話。この日は朝から暖かい陽ざしであった。バスを借り切っての心使いで、家の中は超満員の法座であった。まだ親鸞学徒でない人が多かったので、昼の時間にみんなによびかけたところ、続々親鸞学徒になられる。今後の福井の発展ぶりが伺えた。  3月13日福井県大野市での浄土真宗の御法座。3月とはいえ、雪の降る中を…
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信行両座の諍論とは(三大諍論)信心か念仏か

親鸞聖人が法然上人の御弟子であった時に、その法友達と三度も激しい諍論をなされたということを、しばしばお聞きしますが、どんなことで諍論なされたのでしょうか。 第三の親鸞聖人の諍論は信行両座の諍論といわれているものです。これは、折角聖道自力の仏教が方便であることを知らされて多生にもあい難い阿弥陀如来の本願に遇い、同じく阿弥陀如来一仏を礼拝…
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信ずるということ 知るということ

 あの人ならと信じていたのに裏切られた、などということをよく耳にする。さも意外なことのようにきこえるが考えてみればありうることなのである。 信ずるという言葉は、疑いという言葉と表裏一体となって成立している言葉であるからである。疑いがあるから信ずるというのである。  ちなみに、明日の天気はと問われれば、雨だと思うとか、曇だと信ずるとしか…
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信前の人に称名念仏を勧められた親鸞聖人の御和讃

信心の人におとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩を知り 称名念仏はげむべし という親鸞聖人の御和讃がありますが、これは信心決定しておらない人にも 念仏称えることをすすめられた和讃ではないでしょうか。 確かに「正像末和讃」の中にあなたが示された和讃があります。 この親鸞聖人の御和讃をよく信心決定しておらない人に念…
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体失不体失往生の諍論

親鸞聖人が法然上人のお弟子であったとき、同門の善慧房証空と論争をされたことがありました。 これを体失不体失往生の諍論といいます。 善恵房が、念仏を称えたら死んだら救われると説法していると、親鸞聖人がこういわれました。 親鸞聖人「今ほどあなたは阿弥陀仏は念仏を称えておれば、死ねば必ず助けて下さると申されたが」 善恵房は、それが…
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称名念仏すれば助かるのか

信心決定する手段として念仏称えよ。 称名念仏しておれば、やがて信心決定出来るのだから力んて称えよと説教する人がありますが、これは正しいのでしょうか。 ネコの手本で虎は描けぬ信心正因貫くのが真宗の教え 多くの布教師もそのような説教しているようですが、それは絶対浄土真宗の教えではありません。  信前の称名念仏を信心決定する道…
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称名正因の異安心とは

称名正因の異安心というのはどんなことを言うのでしょうか。  これは浄土真宗には非常に多い間違った安心の仕方です。 一口でいいますと、「念仏で助かるのだ。称名念仏さえ称えていたら助けて頂けるのだ」 とこれらの人達はしきりと称名念仏を勧めます。 又、これらの人々は 「信前であろうと自力であろうと、念仏さえ多く称えればその功徳に…
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信心正因か称名正因か

親鸞聖人の御教は 称えてのお助けか 信じてのお助けか 本願だけでは、ハッキリしない  親鸞聖人のみ教は釈尊出世の本懐である阿弥陀仏の本願を開顕せられたものである。阿弥陀仏の本願を離れて浄土真宗はあり得ない。  では阿弥陀如来の本願とは何か。 「凡ての人々を必ず救いとる」という御約束であるが、それについて三信(信心)と十念…
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