テーマ:阿弥陀如来

四国で浄土真宗の法話

 何ともはや、物騒千万な世の中になったもの!! 一寸ボタンを押せばそれっきり人類の終幕という滅相なものを抱えて、不安と焦燥とにいつも根こそぎ揺さぶられている。 月世界到達だ、宇宙旅行だと空にばかり気をとられている隙に、足元が地につかず肝心の日常生活に大きな空洞ができて、人間相剋暴力肯定、殺人横行と途方もない社会様相になってきた。 …
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阿弥陀仏に救われた思い

 来る年も来る年も、金銭を求めて苦しんでいる。 どれだけ得れば満足するのか。 名誉を追うてあせっている。 どこまで登れば安心できるのか。 財産を望み、色を漁り衣食住の満足を願って365日、狂い廻っているのが私の実相だ。 無限の欲望は一村、一国、世界にひろがってゆく。  咲き誇った花も必ず散らねばならぬ時が来るように、集め…
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東京砂漠に真実の法灯点さる(四聖諦)

 東京の空はどんよりと暗い「山や田園の朝」を思う私にはもう八時だというのに、何だか明けきらぬ感がした。これもスモッグのせいだろうか。  午前九時半、東京で始めての浄土真宗の御法話会場である渋谷区元代々木町の応慶会館は遠くは熊本、四国、そして千葉、神奈川、八王子市、都内各区、横浜、富山、福井、滋賀から集まった人々で満員である。 当に首…
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妙好人Tさんの言葉

滋賀県の親鸞会で大活躍されたTさんが、見事人生究極の目的たる阿弥陀如来の救いにあわれた。 「人身受けがたし、今すでに受く、 仏法聞きがたし、今すでに聞く、 この身今生において度せずんば 更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」 といわれるが、Tさんは人間であることの特権を最大限に生かし切り、深く後生の一大事を見つめ、真剣に仏教を聴聞…
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なぜ阿弥陀仏が本師本仏なのか

阿弥陀仏を本師本仏とか、本師法王といわれる理由は何でしょうか、お尋ね致します。 阿弥陀如来は光明無量、寿命無量、智慧と慈悲の如来であることは多くのお経に明らかですが、中でも、阿弥陀仏の勝徳は、光明智慧無量であることだと、親鸞聖人は讃嘆なされています。  それは、すでにブッダが出世本懐経たる『大無量寿経』に於て「阿弥陀如来の威神光明は…
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他力の大信心は母乳の味・平等一味の世界

親鸞聖人は他力大信心の妙徳を母乳に喩えて、寒暑同味、転苦吐甘、尊卑同一の三徳があると教えられている。寒暑同味の徳とは母乳が厳冬に飲んでも酷暑に飲んでも乳児には適温になって与えられるように真実の他力信心は、何時でも何処でも変らぬ味がするということである。転苦吐甘の徳というのは、母親が何を食べてもおいしい乳とするはたらきを持つように、他力の…
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聞即信とはどういうことか

浄土真宗の御法話に、よく聞即信という言葉が使用されますがどんなことでしょうか。  お尋ねの聞即信という言葉は阿弥陀仏が我々を絶対の幸福に救済して下される時のことを表わす言葉で、浄土真宗にとっては大変大切な言葉です 阿弥陀仏のお誓いは「聞其名号信心歓喜」とありますように、聞いて信ずる者を助けるという御約束ですから、聞くということが…
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信心同異の諍論とは

親鸞聖人が法然上人の御弟子であった時に、その法友達と三度も激しい調論をなされたということを、しばしばお聞きしますが、どんなことで諍論なされたのでしょうか。 聖徳太子を尊敬され「和をもって貴しと為す」の精神で一生貫かれた親鸞聖人に激しい大諍論が三回もあったということは信じられないことかも知りませんが事実なのです。これを聖人の三大諍論とい…
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信ずるということ 知るということ

 あの人ならと信じていたのに裏切られた、などということをよく耳にする。さも意外なことのようにきこえるが考えてみればありうることなのである。 信ずるという言葉は、疑いという言葉と表裏一体となって成立している言葉であるからである。疑いがあるから信ずるというのである。  ちなみに、明日の天気はと問われれば、雨だと思うとか、曇だと信ずるとしか…
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往生について浄土真宗の祖師・親鸞聖人の闘い

死後の救いか現在救われるのか。体失不体失往生の諍論に聞く  親鸞聖人を柔和な方のように思っている人が多い。確に聖人には慈悲の権化のような面もあるが、それよりも秋霜烈日たる峻厳さこそ聖人の真面目と私は憶う。聖人の御一生は正に破邪の法戦の連続であったといって過言ではない。親鸞聖人の御降誕を縁として、その法戦の一つ、体失不体失往生の諍論を書…
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「天上天下唯我独尊」とは

ブッダは誕生なされた時に「天上天下唯我独尊」と言われたそうですが、仏教は、そのような独尊的な教えなのでしょうか。  大変、世間一般に誤解されている仏教の言葉です。確かに、釈尊が誕生された時に、天と地を指さゝれて「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと記録されています。 これを多くの人々は「この世で一番、偉くて尊いものは自分一人である」と釈尊が…
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まず心の臨終を

浄土真宗には二度の臨終、二度の葬式があると聞きましたが、どんなことでしょうか。  二度の臨終といいますのは、心の臨終と肉体の臨終のことです。故に、二度の葬式というのも同じく心と肉体の葬式をいいます。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の本願を信ずる直前に我々は一度死ぬのだと仰言っています。その直後、生きかえった時が阿弥陀如来に救われた時であると…
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阿弥陀如来に抱かれて尊き親鸞学徒の皆様へ

「生き仏、如何に攻撃受けようと ビクともしない金剛心」 尊き偉大なる善知識の御心中を歌わせて頂きました。尊き親鸞学徒の皆様、この広い世界に善知識と名のつく人は一体どれだけ居なさることでしょう。生きる意味は信心決定ただ一つあるのみ、後生の一大事程新しい生きた言葉はありません。 その新しい広大なる南無阿弥陀仏の真実を、夢の世界にたわむれてマ…
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親鸞聖人はきびしい方か

 親鸞聖人という方はやさしい仏さまのようなお方だと私は今まで思っていましたが、浄土真宗の法話を聞くと、どうも聖人に対する考えが変って、大変きびしい方のように思われるようになりました。世間一般の人の考えている親鸞聖人は間違っているのでしょうか。  親鸞聖人には、きわだった二面があります。一面は大変やさしい温い、いわゆる仏さまのような面で…
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なぜ浄土真宗で親鸞会だけ本尊が名号なのか

浄土真宗の御本尊のことについてお尋ね致します。本願寺や浄土真宗の各末寺では阿弥陀如来の木像を御本尊として安置してありますが、親鸞会館は御本尊は御名号になっています。浄土真宗の家庭もほとんど絵像を御本尊としていますが、なぜ親鸞会だけが浄土真宗でありながら御名号を御本尊となさっているのでしょうか。非難される理由にもなるのではないでしょうか。…
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信心をとりて礼にせよ

蓮如上人の真面目「無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて、礼にせよ」多勢の人が歳末のお礼に来た時蓮如上人が仰言ったお言葉である。  生涯、「信をとれ信をとれ」「一日も片時も早く、信心決定せよ」と叫びつづけられた蓮如上人の面目躍如としてあらわれているではないか。「信心をとる」とは阿弥陀如来の大願業力によって絶対の幸福になるというこ…
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信心決定して大いに笑って愉快に暮そう

笑いは人間の特権です。 昔から「笑う門には福来る」といわれます。アメリカのカーネギーは「ほほ笑みは人間が持つ、独特の自己表現法である。この貴い天の賜ものを正しく活用することは、人間のもっている一大特権である」と喝破しています。 そういえば、サルほど人間に近い動物はいないがサル笑いの事実はありません。猫も笑わないし、牛も笑いません。馬はち…
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親鸞聖人を汚す倉石暴言

以前、2月6日の閣議後記者団を前にして、倉石前農林大臣が「日本の憲法は国の安全について他力本願のバカバカしい憲法だ。親鸞の他力本願ではダメだ。自力本願でなければならぬ」と暴言を吐いた。  これに対して野党は平和憲法を無視するものとして一斉に審議拒否に出たが、東西本願寺も今度は漸く腰をあげて「かかる発言は他力本願の教義をはき違えたもので…
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浄土真宗 念仏が一番尊いのか

「念仏成仏是真宗」とか「ただ念仏して」とか、 やはり念仏が浄土真宗にとって最も大切なことではないでしょうか。 普通、念仏とは、口で南無阿弥陀仏と言うことです。 浄土真宗ではその南無阿弥陀仏と口で称える心の相異によって三つの念仏があると教えられています。 ちょうど、涙を流していることから言えば同じことですが、悲しくて泣いて…
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救われた人の思い

岐阜、久々野と私一人の為に浄土真宗の法話を お叫び下さる先生の御恩に報いることの出来ない自分に あいそがつきてしまいます。 こんな極悪人の私がどうして現在絶対不変な妙味を味わせて頂けるようにさせて頂いたのか、 何の間違いなのでございましょうか。 こんな私だったなればこそ、阿弥陀如来は御見捨てなく救いとって下さいましたの…
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一大事に気づく人一人でも浄土真宗の大繁昌

見てこぬ浄土がハッキリするぞ 女性の身をもってアメリカで3人目の、ノーベル賞受賞者にかの有名なパール・バックという人がいる。 小説「大地」の作家である。 彼女はアメリカで生れて3ヶ月目両親の職業の関係で中国に渡った。 だから彼女の記憶はアメリカではなく、揚子江のほとり、靖江府の家から始まる。 彼女は素晴しい母や母に救われた…
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よく合点出来たのが信心か

よく聞いてよく合点できたのが信心だと思っていますが、いかがなものでしょうか。 結論から申しますと合点と信心は全く別のものです。 理論と実際、演習と実戦のように異ったものです。 特に他力の真実信心は一切の合点や埋屈が粉砕された時でなければ獲得できません。 世間のことでも埋屈と実際は如何に食い違うか、異ったものであるかを例を…
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黒い心と暗い心・煩悩心と疑情

我々人間に黒い心と暗い心とがあるとお聞きしましたが、どんな心でありましょうか。 救われるとその心が、どのように変るのかも教えて下さい。 黒い心といいますのは仏教では衆生性得の機といわれている心で死ぬまで無くならない心です。 いわゆる煩悩心です。 なければないでほしいほしい、あればあるでまだほしいほしいと思う欲…
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真の仏法を聞けばどうなるのか

 ブッダは御臨終に仏の教えは法鏡だと喝破なされた。 法鏡とは真実の鏡ということである。 鏡の前に立てば自己の姿が見えるように、 仏法を聞けば真実の自己が照らし出されるのは当然だ。 何年聞いても真実の自己が判らねば鏡の前で眼をつむっている馬鹿と同じで仏法聞いたことにはならぬ。 真実のかけらもない自己が知らされる  聞け…
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泣いても笑っても真実の道は一本きりだ

阿弥陀如来一仏に向え ブッダは何を教えたか 古来の日本仏教徒達は自己の保身の為に、 ブッダが徹底的に排斥せられた神を本地垂述の仏説とねじ曲げて 神も仏も同じだといって神仏一体という邪説をデッチあげた。 そして仏教をして全くの外道化させ、あまねく世間に流布させたのであるが、 これ正しく正法の怨敵であり堕獄の悪魔である。 …
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無常の虎が後ろに迫っているのに何をもたもたしているのだ

 この度は尊い御法莚に遇わせて頂き誠に有難うございました。 また尊い御礼状まで頂き涙しております。 先生におまかせ致しますと言って聴聞させて頂きました浄土真宗の御法話。 私一人と聞かせて頂きました。 見聞知の阿弥陀さまはお見通しでした。 無常の虎が後ろに迫って居るのに何をモタモタしているのだ。 人の事ではないぞ、誰に何と言わ…
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心の底までお見ぬきでの御法話

この度は久々に御法話にあわせて頂きまして有難うございました。 愚かな私の心の底までお見ぬきで御法話下さる先生、 また青年部の方の体験談、身にしみて聴聞きせて頂きました。 誠に誠に有難うございました。 この上は一座一座が聞きおさめの覚悟で聴聞させて頂き、 勿体ないこの阿弥陀如来の御本願を家族一同に是非すすめられるよう 浄土真宗…
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絶対の幸福になった人のお見舞い状

絶対の幸福まで導いてくだされた先生が 病にたおれられたときのお見舞い状である。 御師匠様、旧夜連続の御化導が一時に疲れと成って身におそいかかり、 お休みとの事承り、衆生かわいいの先生のお心の内、 説いて下される、呼び続けて下される阿弥陀如来のお心の内、 寝てもさめても南無阿弥陀仏とはいえ、浄土真宗の法話で その六字の…
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救われた教学の歓喜と懺悔

先生過日は嬉しい嬉しい御法筵に遇わせて頂き、その上本当に久し振りにお話させて頂き有難うございました。 悪業つきぬ身は皆様の御親切に甘えてお参りさせて頂けるのでございます。 身の業報に倍加する法味、限りない現世の利益勿体なく感得させられます。 庄松同行の 「俺の胸にこたえん」 と同じく私もこたえん説教は世間話程も興味がなく、 …
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親鸞会の方々の尊い体験のお言葉

 なつかしき先生、しばらくでした。 毎月浄土真宗の法話を通して先生始め親鸞会の方々の尊い体験のお言葉、 法味を頂くことに甘んじて横着になっている私唯お恥ずかしいよりありません。 阿弥陀如来の一念の信を話しますと ほとんどの人が機に合わないものだから 話に乗らないで説く人も一念ぬきで寺参りしている人は全部 後念の者ばか…
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