真剣な聴聞 からだにかけず心にかけよ

 聴聞にまさる宿善はないといわれる。 しかしただ浄土真宗の法話に連なってさえいればよいというものではない。 どのような心で聴聞すればよいのか我々の先覚は、 衣食忘れて聞けと端的に教えている。 服装に心をかけたり、食事のことに気がかかっているようでは真剣な聴聞とはいえない。  子供が学校からの帰途、交通事故にあって何々病院へ…
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信心獲得は誰が決めるのか

信心獲得できねば必堕無間と言われますが、信心獲得できたかどうか誰が決めるのですか。また獲信できた者はお浄土へゆき、出来ない者は地獄へ堕ちるのでしょうか。如来さまは、そんな片手落なことをなさるでしょうか。信心というのは救われるということを信ずるところから始まると思いますが違いますか。私は「如来さまは何もかもお見透しじゃぞ」と知らされること…
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自分の魂の責任は自分でもて

 もしあの時あの会社に入らなかったら、もしあの時あの人にあわなかったら、もしあの時親鸞聖人の教えに出会わなかったら。 今私が親鸞聖人の真実の教えを聞く御縁に恵まれたことをふり返って見るとき、何の運命のいたずらかと、ただ不思議に思うしかない。 いつかどこかで一枚の歯車のカミ合わせが狂ったとしたら現在の自分はあったろうか。  これ…
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親鸞聖人はきびしい方か

 親鸞聖人という方はやさしい仏さまのようなお方だと私は今まで思っていましたが、浄土真宗の法話を聞くと、どうも聖人に対する考えが変って、大変きびしい方のように思われるようになりました。世間一般の人の考えている親鸞聖人は間違っているのでしょうか。  親鸞聖人には、きわだった二面があります。一面は大変やさしい温い、いわゆる仏さまのような面で…
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なぜ浄土真宗で親鸞会だけ本尊が名号なのか

浄土真宗の御本尊のことについてお尋ね致します。本願寺や浄土真宗の各末寺では阿弥陀如来の木像を御本尊として安置してありますが、親鸞会館は御本尊は御名号になっています。浄土真宗の家庭もほとんど絵像を御本尊としていますが、なぜ親鸞会だけが浄土真宗でありながら御名号を御本尊となさっているのでしょうか。非難される理由にもなるのではないでしょうか。…
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信心をとりて礼にせよ

蓮如上人の真面目「無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて、礼にせよ」多勢の人が歳末のお礼に来た時蓮如上人が仰言ったお言葉である。  生涯、「信をとれ信をとれ」「一日も片時も早く、信心決定せよ」と叫びつづけられた蓮如上人の面目躍如としてあらわれているではないか。「信心をとる」とは阿弥陀如来の大願業力によって絶対の幸福になるというこ…
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蓮如上人の本光房了顕への説法

蓮如上人の時代、本光房了顕という教行信証を護った尊い妙好人がおられました。 その了顕が、蓮如上人の導きを受ける様子を描いてみましょう。 了顯 上人様——助けて下さい… この了顕は恋に破れ、親に死に別れ、一体何の為に生きているのかとさまよい、ここ一つ明らかに導びく方はおられないかと求めました。  そしてあなた様にめぐり遇い心底…
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学生の混乱

東大生といえば昔からエリート中のエリートとして自他共に認められてきた。そのエリートであるべき学生の昨今の混乱ぶりは一体どうしたことか。理由はともあれ、学生が自らの手で授業を放棄し、バリケード云々にいたってはすでにその方向を見失っている。東大生がそうであるからまして他の学生においておやである。角材にヘルメットは序ノ口、月光仮面よろしく覆面…
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新解明・他力信心のすがた

 他力信心を具体的に説明せよという質問はよくあると思います。 いかにも他力の信心は、ハッキリした世界ですが、いくらハッキリした驚天動地の世界ではあっても、精神界のことですから、親鸞聖人が『正信偈』に「他力信心を得るということは卑提希夫人と同じように三忍を獲ることをいう」とお答えになっているようにしかお答えできません。 聖人は、他力の…
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浄土真宗が学べるウェブサイトが出現

これまで、真宗十派をはじめとする浄土真宗の伝統教団では、浄土真宗の教えの内容を学びたいと思っても、教えについてはインターネット上で学べるウェブサイトは存在しなかった。 どの浄土真宗の宗派も、どの公式サイトを見ても、歴史や制度、儀式の案内ばかりで、教えの内容を記載しているところはほとんどなかった。 また、記載していても、小話が幾つか順…
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仏法の重さが知らされるまで苦労して求めよ

「いたずらに過ぐる月日は多けれど法を求むる時ぞ少なき」 我々が阿弥陀仏の救済にあずかる第一条件は宿善である。宿善がなければ絶対他力大信心を獲得することはできない。病気になれば医者まかせ、車に乗れば運転手まかせというように後生の一大事の助かるかどうかはひとえにこの宿善の有無によって決する。  されば宿善は待つに非ず、求むるものなりと親鸞…
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人は何のために仏教を求めるのか

 人は何のために仏教を求めるのか。それは、仏法を求める目的は生死の一大事、即ち、後生の一大事の解決をする為です。仏法の内容も凡ての人々に生死の一大事、後生の一大事のあることを教え、その解決の方法を教示なされたものばかりです。  釈迦一代の教え、八万の法蔵といわれる一切経も、この一大事を我々に如何に知らせるか、この一大事をいかに解決する…
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教育の現場で神式罷り通る

この夏ある地方の小、中学校に新しいプールができ上った。 その落成式がまことに異様に、しかもい並ぶ高位高官(?)教育の大御所が 何の疑議もさしはさまずに滑らかに荘厳に行われていた。 というのは、プールのまわりに児童生徒が並び、正面に竹やらで作られた、 にわか祭壇が作られ主座には神主が慇懃にかまえている。 開式と同時に神主の祝…
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浄土真宗の僧侶が原理研究会に寺を貸す

 このところ、浄土真宗に対する非難攻撃、風当りは強いがついでにもう一つ。 最近或る寺がこともあろうに外道も外道、キリスト教に根をもつ新興宗教「統一原理研究会」に寺を貸したということが明らかになった。あいた口がふさがらないとはこのことをいうのか、金にさえなれば何でもするといった変節ぶりは乞食にも劣るあさましい行為ではないか。これでは落目と…
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信前の人に称名念仏を勧められた親鸞聖人の御和讃

信心の人におとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩を知り 称名念仏はげむべし という親鸞聖人の御和讃がありますが、これは信心決定しておらない人にも 念仏称えることをすすめられた和讃ではないでしょうか。 確かに「正像末和讃」の中にあなたが示された和讃があります。 この親鸞聖人の御和讃をよく信心決定しておらない人に念…
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体失不体失往生の諍論

親鸞聖人が法然上人のお弟子であったとき、同門の善慧房証空と論争をされたことがありました。 これを体失不体失往生の諍論といいます。 善恵房が、念仏を称えたら死んだら救われると説法していると、親鸞聖人がこういわれました。 親鸞聖人「今ほどあなたは阿弥陀仏は念仏を称えておれば、死ねば必ず助けて下さると申されたが」 善恵房は、それが…
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弥陀をタノムとはどんなことか

『御文章』に蓮如上人が「弥陀をタノメ」とか「弥陀をタノム」とか、しきりと仰言っていますが、 やはり私達は阿弥陀如来に、どうか助けて下さいとお願いせねばならないのでしょうか、お教え下さいませ。 よく誤解される言葉です。 今日「タノム」とか「タノメとかいう言葉は「お願いする」とか 「求め願う」意味に使用せられていますので、 ど…
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浄土真宗に多い我利我利亡者

浄土真宗には自分さえ助かればそれでよい。 他人のことなんか、かまっておれないという我利々々亡者が多い。 これは、蓮如上人の「他宗他門の人に沙汰するな」とか 「内心に仏法をたくわえて外面にあらわすな」とかのお言葉を誤解してのことかも知れぬが大変な仏教の聞きあやまりである。  ある人が地獄と極楽はどこが違うのだろうかと比較する為…
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称名念仏すれば助かるのか

信心決定する手段として念仏称えよ。 称名念仏しておれば、やがて信心決定出来るのだから力んて称えよと説教する人がありますが、これは正しいのでしょうか。 ネコの手本で虎は描けぬ信心正因貫くのが真宗の教え 多くの布教師もそのような説教しているようですが、それは絶対浄土真宗の教えではありません。  信前の称名念仏を信心決定する道…
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大型化と真実化

この頃役所、会社などがやたらにデラックス化し大型化してきた。 昔は役場といえば、実直な係りが小型の窓からしょぼしょぼと村民の相手をしていたのに、この頃は、デーンとかまえた係官がどなりつけるようにものをいい、時間がくれば、市民が来ようがおかまいなしにピシャリ閉店。 役所だけかと思うと、お寺もデラックス化している。 それも変なとこ…
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信義を守る(言行一致)

 人一日に八万四千の思いがありコロコロ変るところから「こころ」といわれるが、思った事をやり遂げ、誓ったことを守るのが人間としては当然の事である。 それがたとえ自分との誓いであっても、他人との約束であっても!!  かくて言行一致は仏説を聞かずとも恥を知る人間としては当然の行為であり責任あるものの取る態度であろう。 然るに今日、政…
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称名正因の異安心とは

称名正因の異安心というのはどんなことを言うのでしょうか。  これは浄土真宗には非常に多い間違った安心の仕方です。 一口でいいますと、「念仏で助かるのだ。称名念仏さえ称えていたら助けて頂けるのだ」 とこれらの人達はしきりと称名念仏を勧めます。 又、これらの人々は 「信前であろうと自力であろうと、念仏さえ多く称えればその功徳に…
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浄土真宗の三通りの「ただ」

浄土真宗は、他力じゃただじゃと仰言るから苦労する必要はない。とみんな思っているが、ただに三通りあることを知らないのだ。ただじゃと聞かされて、ほとんどの者は「ただじゃそうな」と受け取ってゆくが、信心の幼稚園だということが判らないのだ。浄土真宗の人達は十中八・九まではこの程度のきき方しかしていないのが現状である。またこの程度の浄土真宗の法話…
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破邪の種はあちこちにある

先日葬式が終り、故人の知人が数名集って、今はなき人の為に僧侶を呼んで一巻の読経を願った。 切断された観無量寿経(僧侶は新観経と呼んでいる)を読経し終って僧侶は一言説教に及んだ。一応浄土真宗の法話である。 その大要は「本願寺の仰せには、本日ここに有縁の人々集って、なき故人今は安養浄土の仏のみ霊をこの場所へ呼んで、みなみな御仏の大慈大悲…
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信心決定して大いに笑って愉快に暮そう

笑いは人間の特権です。 昔から「笑う門には福来る」といわれます。アメリカのカーネギーは「ほほ笑みは人間が持つ、独特の自己表現法である。この貴い天の賜ものを正しく活用することは、人間のもっている一大特権である」と喝破しています。 そういえば、サルほど人間に近い動物はいないがサル笑いの事実はありません。猫も笑わないし、牛も笑いません。馬はち…
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煩悩

 浄土真宗の僧侶や門徒の中には信心決定したら煩悩がなくなるとか、普通の人よりは少くなると思っている人がいるが、とんでもない間違いである。 煩悩とは欲望と怒りと愚痴の三毒の煩悩に代表されるように我々の心身を煩わせ悩ませるものをいう。 ヘソのない人がいても煩悩のもたない人がいないから煩悩具足の凡夫といわれ、阿弥陀如来の本願建立の「お…
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信心正因か称名正因か

親鸞聖人の御教は 称えてのお助けか 信じてのお助けか 本願だけでは、ハッキリしない  親鸞聖人のみ教は釈尊出世の本懐である阿弥陀仏の本願を開顕せられたものである。阿弥陀仏の本願を離れて浄土真宗はあり得ない。  では阿弥陀如来の本願とは何か。 「凡ての人々を必ず救いとる」という御約束であるが、それについて三信(信心)と十念…
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親鸞聖人を汚す倉石暴言

以前、2月6日の閣議後記者団を前にして、倉石前農林大臣が「日本の憲法は国の安全について他力本願のバカバカしい憲法だ。親鸞の他力本願ではダメだ。自力本願でなければならぬ」と暴言を吐いた。  これに対して野党は平和憲法を無視するものとして一斉に審議拒否に出たが、東西本願寺も今度は漸く腰をあげて「かかる発言は他力本願の教義をはき違えたもので…
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他力本願とはどんなことか

弥陀の大願力のみを指す 他人や自然の力ではない私は、仏教は大切なものだとは思っていますが、他力の仏教はきらいです。他の力にすがらねば生きてゆけないような無気力な宗教は我々青年の意気をそぐものではないでしょうか。しかし、先生のたくましさを見ると他力とはどんなものか判らなくなってしまいます。他力本願とは一体どんなことをいうのでしょうか。 …
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ただ弥陀の本願に順ずべし

 数ある宗教の中でなぜ仏教だけが真実の教えであり、なぜ阿弥陀如来の本願によらなければ我々は助からないのか。この事に疑問をいだく人は少くない。  現代の科学の発達にはめざましいものがあり、原子の直径が百億分の三ミリであることまで論証されている。この原子を三ミリの虫とした場合、結核菌は十キロメートルの虫にも及ぶといわれるからまさに極少おど…
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