自力と他力について(本願寺vs親鸞会)

本願寺vs親鸞会の当日、お互いの同意のもと、法論の一切の顛末が録音された。それが起因となって本願寺と親鸞会の一対一の文書による大諍論となった。両氏のやりとりは回を重ねる毎に真実安心の核心に触れ白熱化した。 その後、親鸞会より発送された書面より、3カ月後の最終書面に到るまで、親鸞会より11通、本願寺より4通の書面が往来した。信謗共に讃仏…
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西本願寺と親鸞会の激しい法論が勃発

 いつの時代であろうと、いずこにおいても、真実の仏法を開顕する者は、たとえ相手が何人であろうとも真実をネジ曲げる者を絶対に許さない。 親鸞会はこれまで真実の他力信心開顕のために幾多の邪義、異安心を撃破してきたが、ここに又、どうしても破邪しなければならぬ邪義、異安心があらわれた。それは西本願寺の輔教の資格を持つ布教使である。彼は常日頃か…
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本願寺VS親鸞会

「親鸞会は異安心だ」の西本願寺の僧侶の一言に端を発して、法論が行われている。 回を重ねる度に邪義が露呈、論点が信心の核心にふれるだけにこの法論は浄土真宗の歴史的な一大法戦となり、 長期化の様相を呈してきた。 本願寺VS親鸞会 浄土真宗ニュースではこれを大きく取りあげ、細大もらさず顛末を発表、世に問うこととなった。 幾多の法…
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凡夫には軽そうに見えたが根の深い大問題の頻発に思う

末法濁世を截る 今世の中では布教使と西本願寺輔教、布教使との法論で鎬を削っている。否既に完膚なきまでに破邪し尽した状態である。 しかしこれはただに藤田明男個人の問題ではなく、全人類の大問題であることは言を俟たないのである。 その上、本願寺末寺明徳寺住職の布教妨害事件が惹起し、いよいよ親鸞学徒の立つ秋が来たようである。 これらの事に関し…
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仏教は出て聞け?

昔の人はこう言っていました。 無宿善の機(助からん人)A「仏法もトタン屋根の雨みたいになったらいいんだがな」B「つまりどういうこと?」A「家の中に居ても聞けるということさ」古人いわく──仏法と萱屋根の雨は出て聞け── ところが最近は、ユーチューブなどで、家でも浄土真宗の法話が聴聞できるようになってきています。 例えばこんな仏願の生…
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歎異抄を勉強するならこのサイト

『歎異抄』というのは、浄土真宗の親鸞聖人のお言葉を、お弟子の唯円が書き残した本です。 大変美しい文章で書かれていることで有名で、三代古典の一つです。 三代古典というのは、徒然草、方丈記、歎異抄です。 日本で最も読まれている仏教書といわれ、多くの人に知られていますが、 誤解を生みやすいところが多く、江戸時代までは、教団の奥深く…
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本物の仏教学習がオンライン化(仏教ウェブ入門講座)

仏教を学ぶといえばその昔、江戸時代は寺で学ぶことができました。 それが寺では葬式や法事ばかりとなり、今では寺で仏教を聞くことはめったにできません。 そこで、本で学ぶことになりますが、仏教の本は、断片的で、初心者向けのものは間違っていることもあります。 専門書は歴史的な要素が強くなり、仏教の教えはあまり分かりません。 現代では…
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正信偈のすべてを分かりやすく学べるサイト

正信偈は、浄土真宗の朝晩の勤行で拝読される親鸞聖人の書き残されたものです。 葬式でもよく読まれます。 漢文で書かれていますので、お経だと思っている人がありますが、お経ではありません。 お経は、お釈迦さまの説かれたことを書き残されたものですが、正信偈は、親鸞聖人の書かれたものだからです。 ですが、正信偈には、お釈迦さまの一…
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浄土真宗の教えが一番よく分かるサイト

インターネットで浄土真宗の教えを学ぼうと思ったら、普通は、西本願寺とか東本願寺の公式サイトが一番正しいと思ってしまいます。 歴史が長いし、権威があるし、大学もあるので、正しいことが学べると思います。 ところが、実際には、大したことは書かれていませんし、書いてあることは難しいことばかりなので もともと浄土真宗の教えを知っていれば…
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七慢

「一つとせ、必定地獄と聞きながら、ウヌボレ心にだまされて、堕つるこの機ということは、ホンニ今まで知らなんだ」という信心かぞえ歌があるが、このウヌボレ心は本当にやっかいなシロモノである。昔から「他人の事を言っている時はみな悪口、自分の事を言っている時は必ず自慢話」と言われるが一体どんなウヌボレ心を我々は持っているか、釈尊からお聞きしてみま…
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コラム

あきがくる 夏の終り 古い女房 手次の坊主の説法 頭下足上「おい今度の日曜日に浄土真宗の法話を聞きに行かないか」太郎「いやア、行きたいけど稲刈り手伝わねばならなくてね」花子「今度一緒にボーリングに行かない?」太郎「よし行こう」「稲刈りは?」太郎「うん、きっと雨でも降るだろう」「あわれ!頭下足上のすがたか」
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金を埋めている人

あるケチン坊な男が自分の財産をしっかり握っていたかったので自分の持っている物全部を売り払って大きな金の塊に換えた。それを庭先に穴を堀り、その中へ隠しておいたのである。それから絶えずそこへ行ってはしげしげとそれを眺めていた。 ところがその事を使用人の一人が知って主人の留守の間に盗み去った。ケチン坊は戻って、空っぽになった穴の中を見て頭の…
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器を変えても泥水は泥水

 泥水はどんな器に移しても浄水にはならない。 濾過器を通さぬ限りは泥水である。 昔、東本願寺では星谷慶縁師を新宗務総長に選んだ。 星谷師は就任にあたり 「親鸞教学の確立と組織・制度の近代化」 を謳っていたが、所詮は三森前宗務総長から星谷師に器が代っただけの事。 本願寺に充満する泥水は一向に浄化されるはずがない。 「…
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親鸞会で獲信の人大いに語る・歓喜の泉ここに沸く

 実りの秋に先立ち、今年は二人信心決定したという人があらわれている。蓮如上人も「真宗の繁盛と申すは、人の多く集まり威の大なることにてはなく候。一人なりとも人の信を取るが真宗の繁盛に候」(御一代記聞書)と仰言る通り、まさに「浄土真宗今盛んなり」である。  滋賀県湖北町の親鸞学徒は去る5月、人生究極の目的、信心決定を達成したという。親鸞聖…
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真宗を死の商人から護れ

商人の鉄則  たとえそれが一介の行商人であろうと老舗の主人であろうと、いや老舗であればある程、商人といわれる人は食物であれば調理の仕方、食べ方、或いは道具であれば使い方、機能をマスターして商いをする。 信用を重んじる店ほど上手な使い方を教えて売ってくれるものである。  真実の仏法を伝える者にとっては、仮にこれを商売とするな…
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他宗を誹謗することは反って真宗を傷つけるのではないか

浄土真宗の広宣の点ですが、他宗(新興宗教も)を誹謗することは反って真宗を傷つけます。他宗とて皆国家の法律により許可され布教する権利をもっております。無願無信の大部分の国民に少しでも善に導く宗教があれば宗教家として大いに慶賀すべきことです。真宗が最高の宗教と打ち出す処に高級インテリーの猛烈の反感があります。これは私が診療上実験せし事実です…
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疑いは一生晴れないのではないのか(2つの疑い)

先生の仰せの内「他力信心の大自覚」ということが強調されていますが、この自覚は「何によりて生ずるか」「如何すれば自覚し得るか」の二点です。 私の今までの聴聞によれば、人間は一生涯、疑いを離れる事はできない。法然上人は「疑い惑わしきは凡夫の常なり」親鸞聖人は「うちまかせて凡夫のありさまに変りあるべからず」蓮如上人は「女人の身は如何に真実心…
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仏教の若い講師たち(若鷲よ大きく育て)

「私ははじめは親鸞会を批判の目で見ていた。しかし自分が若い時、何を思い何をおいかけていたかということを考えてみると、親鸞会の人達の進んでいる道がいかに素晴しいことであるかに気付いた。 親鸞会の仏教の講師が一斉に布教にとびたったが方々で大変な反響を呼んでいる。ある人は「極楽総出じゃ」と言って感嘆し、ある人は「ただ人ではない」と驚いている…
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信心と悪業煩悩との関係はある・ない

信後は煩悩執着が大いに減退するのではないか 「煩悩や身口意の三業で造る悪業は減りも増しもしません」 とありますが私の体験では熾烈な煩悩執着もお念仏で大いに減退します。 煩悩ある故に苦しみまた、病気にもなります。 信心決定すれば信前の心と大いに変り、しかも悪業も大いに減ります。 また左様でなくては社会的にも浄土真宗は何の価値もあ…
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妙好人の詠んだ歌が葉書に書いてあった

 先日53才で信心決定された妙好人の方からはがきが届きました。そこには、花笠音頭の節で尊い次の阿弥陀如来の歌が書かれていました。一、俺の胸底ちょうと見やしゃんせ   弥陀の思案の願がある 二、弥陀を知ったその時からは   生死の苦界で娑婆遊び 三、弥陀よ喜べ六字の鈴が   胸に鳴る鳴る弥陀の声 四、弥陀のお慈悲を、     食てみ…
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浄土真宗の19願、20願、18願の人とは

浄土真宗の人達は19願の人、20願の人、18願の人といわれる、三様の人があると聞いておりますが、これはどんなことでしょうか。また、どのように違うのでしょうか。阿弥陀仏の建立なされた本願は48ありますが、その中の18番目は最高無上の誓願でありますから選択本願とか王本願といわれ平生業成が約束されています。 平生業成といいますのは死んでから助…
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富山県の妙好人・白蓮華

富山県城端町での浄土真宗の御法話で、そこの90歳のお婆さんは善知識にめぐりあって10年になる。34才の時、信心決定してより、真実の仏法を説く人を探し求めていたが84才の時ようやく善知識に出会って驚いたという。以来年ごとに浄土真宗の御法座を開いているという。この日も善知識にあったおばあさんは、喜び一杯であった。「昨年こそはちょうはい帰り(…
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春はたねまきのシーズン

いよいよ本格的な春となってきました。春ともなればタネまきのシーズンです。まかぬタネは生えぬというのが因果応報の因果の道理です。あなたの聞法のタネまきはいかがでしょうか。 ところでこのブログも春と共に衣がえをすることになり、内容も次第に変革していくことになりました。今まで一部に難解だとの評がありましたのでこれからだんだんと浄土真宗の教え…
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一念の信心を言うと一念覚知にならないか?

一念の信心をやかましく説くと一念覚知の異安心になりませんか。他力の信心はいつとはなしに頂けるものではありませんか。阿弥陀如来に救われ絶対の幸福になった時を浄土真宗では「信の一念」といいます。それは、アッとも、スッともいう間のない一念で阿弥陀如来は私達を救い給うからです。  親鸞聖人はこれを「時尅の極促」とか「極速円融の真詮」とも仰言っ…
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念仏の分類を聞いて続々と親鸞学徒が増えている

3月19日福井県武生での浄土真宗の御法話。この日は朝から暖かい陽ざしであった。バスを借り切っての心使いで、家の中は超満員の法座であった。まだ親鸞学徒でない人が多かったので、昼の時間にみんなによびかけたところ、続々親鸞学徒になられる。今後の福井の発展ぶりが伺えた。  3月13日福井県大野市での浄土真宗の御法座。3月とはいえ、雪の降る中を…
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正しい仏教の先生(善知識)を選び求めることの重要性

 いかに厚い宿善があっても教え導いて下される知識に遇わなければ、仏教を聞くことはできない。知識とは、仏教で、仏教の先生のことを知識という。ところが仏法を我々に説き聞かせてくれる知識に、善知識と悪知識のあることをブッダは教えられ、悪知識を捨て善知識について聞法精進しなければ助からぬことを警告された。 これを親鸞聖人は『愚禿鈔』下巻に「善知…
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獲信の記録・阿弥陀仏は生きてござる

ミーンミーンミーン。真夏の太陽がじりじりと照りつける昼さがり、食事をしておられたお父様が突然箸を置き「仏様も暑いだろうなあ」とつぶやくとさっと立ちあがって本堂へ行かれた。すべての戸を開き涼しい風が仏壇に入りこむのを見とどけるとやっと安心したように又食卓につかれた。そんなお父様の行動は幼い私にとって不思議でならなかった。又ある時は、私が仏…
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顕微鏡のように悪を見逃さない仏眼

顕微鏡と仏眼「一日一善、これは私の人生の教訓であり、今日まで実施してまいりました。どんな小さな善でも勧んでやることであり、やれるのです」 これは世間で「立派な人だ」と尊敬されている人の言葉である。いわゆる世間でいう人格円満、角のとれた人間の常とするところである。  ところが一方、世界の光と仰がれている親鸞聖人は「一生造悪、蛇蝎の如き心…
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