なぜ浄土真宗の中で法論が起きるのか

同じ浄土真宗でありながら、派が分かれ、教義論争が起きたりもしています。 和気あいあいでお互い手を取り合って 親鸞聖人の教えを明らかにすることはできないのでしょうか。 そういう意見も一応ごもっともなことに思われますが、 現在の本願寺はじめ真宗十派がいかに親鸞聖人や蓮如上人の教えに反し、 浄土真宗の教えと異なるかを知らないから…
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聞法の秋

秋がきた。 そろそろ求道にもアキが来て足を出している人を見かける。 「なかなか難しいねえ」 「阿弥陀様はどこをむいておられるのか」 ああ!後生の一大事を何と心得ているのだろう。 心なき畜生でさえも、家の大事となれば命を捨てるのに、我々は一日として寝食を忘れ、命を投げ出して仏法を求めたことがあるだろうか。 くる日もくる日も…
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仏教で「知識」とは(仏教用語)

 普通知識と言えば、色々な物事に対して知っていることがら、 あるいは、事物に関するはっきりした認識、と理解されている。 そして学問、教養のある人々を知識人とか知識階級とよんだりしている。  しかし仏教で使う場合は全く意を異にする。 我々に仏の教えを説き聞かせてくださる人を仏教では、知識と言う。 現代的に言えば仏教の指導者の…
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ゆとりのある態度

 明治以来欧米の風潮文物が渡来し、いかなることも皆欧米一辺倒となった。 現代日本の経済成長も建築の素晴らしさも、 そして日々訪れる我々身辺の多忙さもこれすべて欧米の様相かと思われるのである。 われわれにとってはどうしても一日48時間は欲しい。 体が3つ程欲しい。 これも欧米並みか?と思われるのだが…。  ところが最近西欧…
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親鸞聖人と謎の女性との出会い

親鸞聖人が、比叡山でご修行なされていた時、 どうしても後生の一大事が解決できず、一度下山して恩師の慈鎮和尚を訪ねた帰りのことである。 「親鸞様、お待ち下さいませ」 と女性に声をかけられた。 親鸞聖人が、 「何か私に用がおありですか」 と振り向かれれると 「これからどちらへ?」 と尋ねる。 「私は山へ帰るところですが」 …
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なぜ親殺しより法ぼう罪が重いのか

仏教では、親を殺す五逆罪よりも、仏教を謗る法謗罪の方が、より重罪だといわれますが、どうも私には腑におちません。 なぜでしょうか? 御不審まことにごもっとものことと思います。  世間一般では親を殺す(仏教ではこれを五逆罪といいます)ことは、 いわゆる尊属殺人としてかつて最も重い罪だということは常識になっているからです。 その…
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長者窮子の譬喩・やるせない阿弥陀仏の御念力

 釈尊出世の目的は我々に阿弥陀仏を紹介する、このこと一つであった。 親鸞聖人はこれを正信偈の中に 「釈迦如来、この世に興出したもう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんとなり」 とズバリ教えておられる。 ところが疑い深い我々は、本当に阿弥陀仏はおられるのか、どこにましますのだ。 という疑いがやまない。 そこで釈尊は、我々の目に…
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全国真宗青年の集い

“全国真宗青年の集い”──これは西本願寺の青年組織である仏教青年連盟(仏青)が 年に一度催す集まりである。 以前、その石川大会が開かれた。 仏青に将来を託している西本願寺当局は門主を筆頭に総動員かけて、 1300名余りの青年を一同に金沢市の観光会館、 そして能登の、励志館に集めたが、 大会そのものは道徳倫理の域を出ない仏…
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自己にも他人にも厳しくあれ

 昔、長い間、総裁の座に君臨してきた佐藤氏も終に引退して新しく田中氏が選ばれたが、総裁選挙でも黒いウワサが乱れ飛び、激しいなじり合いが展開された。 というものの国民から見れば目クソ鼻クソ笑うの類いで、下の下の人間の所業でしかなかった。  人間を四つに大別して、 一つには自己に寛大で他人に厳しい人、 二つには自己に寛大で他人に…
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雑修とは何か

雑行のことについては、雑行とは何かで お答えしましたので次にお尋ねの雑修とは何かについてお答え致します。  浄土真宗では、朝夕の阿弥陀仏の御前での『正信偈』や『御文章』の勤行を読誦正行といいます。 そして阿弥陀仏やその極楽浄土を思念することを観察正行といいます。 一心に阿弥陀仏一仏に向って礼拝することを礼拝正行といいます。 …
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ミケランジェロが彫刻にかける思い

ミケランジェロが一つの石像を彫刻した時の事である。 でき上った後も更に多くの日数をかけて石像のこまかい部分、点までも、ひとつひとつ補工していった。 これを見て友達が 「前に来た時、もう完成したと言っていたじゃないか。 そんな細やかなことに、そんな長い日数をかけるなんて意味がないじゃないか。 それだけの時間があったら別の作品がで…
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浄土真宗で破邪すべき“邪”とは、何か

世上に浄土真宗を好戦的な宗派のように悪評する者がいる。 けだしこれは、親鸞聖人の破邪のきびしさ、激しさに対する反感に違いない。 と同時に、仏教の破邪顕正の正しい意味を知らないところから生じた悲しむべき誤解である。 親鸞聖人は今日まで、たとえ相手が何者であろうとも、微塵の妥協もせず 「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず」 の釈尊…
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雑行とは何か

浄土真宗本願寺派の僧侶が 「他力の雑行雑修もある」 と書いていますが、一体、雑行雑修とは、どんなことでしょうか。 浄土真宗では雑行雑修自力の心をふり捨てなければ絶対に、 阿弥陀仏の救済にあずかることはできないと教えられていますから、 その雑行とは何か、雑修とは何かという質問は大変大切なお尋ねです。  まず、雑行といい…
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お礼の心なら神を礼拝しても良いのでは?

私にとりましては諸仏菩薩、諸神は弥陀如来の分身として化現ましまし私をして仏縁に近づけて下されたお方でございますので、御礼心から念仏で合掌いたすばかりで、別に何事を祈願したり救済の対象としてタノミ信ずる訳ではございませんが、これは間違っておりましょうか。 もし、祈願したり救済の対象としてタノミ、信じたりさえしなければ、諸仏や菩薩や諸…
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お金は死ぬ時に持って行けない

蓮如上人御一代聞書の中に 「堺の日向屋は、三十万貫持ちたれども死にたるが、仏にはなり候まじ、大和の了妙は帷一つをも着かね候えども此度仏になるべきよ」 というお言葉がある。 堺の日向屋の様に、欲にだまされて、家も、金も、山も、田んぼも離せない、惜しい、駄目だと言っておる間に臨終が来て、 無理矢理ひき離されてしまうのだ。 何故…
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歎異抄の悪人正機の意味

仏教ではよく「悪人」という言葉が使われる。 ことに悪人正機という言葉は有名であり、浄土真宗から出た言葉である。 歎異鈔に出て来る言葉であるが、世間の多くの人はこの言葉を大変誤解しているようである。 機というのは私達の姿ということである。 間違った意味は、阿弥陀仏の本願は悪人が正客であり、 どんな悪人でも必ず助けるという約束…
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信心獲得したらハッキリするものかどうか

信心決定の自覚は誰にでもハッキリするものだとのことですが、ハッキリする者も千人に一人位はあるかも知らないが、大体はハッキリしないのが本当らしい。故曾我量深師に直接聞いて見たのですが、 「信心を獲得したと、そんなにハッキリ自覚できるものではない。 知らず知らずいつとはなく尊い心境になって行くものだ」 との仰せでした。 大変大切…
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なぜ浄土真宗では奈良の大仏に礼拝してはいけないのか

先日、会社の人達と関西旅行にいった際、奈良の大仏に礼拝し賽銭を投げて来たことを祖母に話しましたところ 「浄土真宗の者の断じて、してはならない怖ろしいことをして来た」 と大変叱られましたが真宗では悪いことなのでしょうか。 全くあなたの祖母さまの仰言る通りです。 祖母さまは親鸞聖人の本当の御教えを、よく聞いておられる有難い方です…
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親鸞会との法論に破れた本願寺の僧侶の所信表明

 先日、親鸞会青年部親鸞会の講師と西本願寺輔教との間に 1信心決定したら本人にハッキリ自覚出来るのか、出来ないのか 2信心決定した後も雑行雑修することがあるのか、ないのかなどの法論がなされ、 本願寺の僧侶は親鸞会の講師の質問糾明に解答できないまま現在に至っている。 ところがその後、本願寺の僧侶が教務所に於て 親鸞会との法論…
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親鸞聖人は他人を攻撃されなかった?

私は浄土真宗ですが、我が祖師親鸞聖人は、他人の信心をあれこれ非難したり、攻撃されたことは決してなかったと聞かされています。 ひたすら自己の信心を深め、自己を凝視して一生通されたお方と信じていますが違うのでしょうか。 そういう人は、浄土真宗の信者だといっても親鸞聖人という御方を知らない人です。 少しは知っていても聖人の一面だけし…
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臨終に三つあり(三位の臨終)

「あの人は安らかに死んでいったから極楽まちがいない」と言っている人がいる。 しかし平生の時、信心決定していない人は、どれだけ静かな臨終であって、も、一息切れたら無間地獄へ真逆様である。ならば「何故あのような安らかな死に方ができるのか」と言う疑問を抱く人もあるだろう。しかし臨終にも三段階ある事を知れば、この疑問も氷解するであろう。  …
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親鸞会と本願寺どちらが真実の信心を伝えている?

前回は破格の浄土真宗ニュースを発行して、親鸞会と本願寺、いづれが真実の他力信心か、その黒白を天下に公開した。 早速各方面から激励、感謝の言葉や批判、非難の声がどんどん届いた。分かる人には千金の重みあるニュースだが、判らぬ人には反古同然であろう。ネコに小判か、ブタの鼻先に真珠の類いである。 「なんと品の悪いニュースだ」という人もあった…
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信心獲得しても分からない人もあるのか?(本願寺vs親鸞会)

本願寺の輔教の学階を持つ僧侶が、「真実の他力の信心を獲得している人でも、自分が信心を獲得しているということが判る人もある。判らぬ人もある。信心決定しておっても凡ての者が信心決定しておることを、自覚出来るものではない」と言ったので、親鸞会の講師が、このように質問した。 貴方は「他力の信心を獲得した人には、どんな人に必ず、二種深信が立つ。…
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現代に拝んでいい神と悪い神があるのか、西本願寺vs親鸞会の激突

親鸞会の講師の一向専念無量寿仏の布教に対して対して西本願寺の輔教が、現在日本の市町村にある神社の神の中には、権社の神と実社の神とが混在する故に、我々も拝んでもいい神と礼拝してはいけない神とがあると非難しました。 ちなみに「輔教」というのは、西本願寺の学階で、親鸞聖人の教えに極めて詳しいとされる人に西本願寺が認る資格です。 「権社の神…
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雑行の自力と他力について(本願寺vs親鸞会)

本願寺vs親鸞会の当日、お互いの同意のもと、法論の一切の顛末が録音された。それが起因となって本願寺と親鸞会の一対一の文書による大諍論となった。両氏のやりとりは回を重ねる毎に真実安心の核心に触れ白熱化した。 その後、親鸞会より発送された書面より、3カ月後の最終書面に到るまで、親鸞会より11通、本願寺より4通の書面が往来した。信謗共に讃仏…
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西本願寺と親鸞会の激しい法論が勃発

 いつの時代であろうと、いずこにおいても、真実の仏法を開顕する者は、たとえ相手が何人であろうとも真実をネジ曲げる者を絶対に許さない。 親鸞会はこれまで真実の他力信心開顕のために幾多の邪義、異安心を撃破してきたが、ここに又、どうしても破邪しなければならぬ邪義、異安心があらわれた。それは西本願寺の輔教の資格を持つ布教使である。彼は常日頃か…
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本願寺VS親鸞会

「親鸞会は異安心だ」の西本願寺の僧侶の一言に端を発して、法論が行われている。 回を重ねる度に邪義が露呈、論点が信心の核心にふれるだけにこの法論は浄土真宗の歴史的な一大法戦となり、 長期化の様相を呈してきた。 本願寺VS親鸞会 浄土真宗ニュースではこれを大きく取りあげ、細大もらさず顛末を発表、世に問うこととなった。 幾多の法…
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凡夫には軽そうに見えたが根の深い大問題の頻発に思う

末法濁世を截る 今世の中では布教使と西本願寺輔教、布教使との法論で鎬を削っている。否既に完膚なきまでに破邪し尽した状態である。 しかしこれはただに藤田明男個人の問題ではなく、全人類の大問題であることは言を俟たないのである。 その上、本願寺末寺明徳寺住職の布教妨害事件が惹起し、いよいよ親鸞学徒の立つ秋が来たようである。 これらの事に関し…
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仏教は出て聞け?

昔の人はこう言っていました。 無宿善の機(助からん人)A「仏法もトタン屋根の雨みたいになったらいいんだがな」B「つまりどういうこと?」A「家の中に居ても聞けるということさ」古人いわく──仏法と萱屋根の雨は出て聞け── ところが最近は、ユーチューブなどで、家でも浄土真宗の法話が聴聞できるようになってきています。 例えばこんな仏願の生…
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