親鸞会が本願寺を非難攻撃する理由

親鸞会が本願寺を非難攻撃するのは本願寺が 浄土真宗の祖師、親鸞聖人の御教えをねじ曲げ破壊して 有縁の人々を無間の火城に突き堕しているからに外なりません。 その具体的実態を種々指摘して参りましたが、 更に糾弾しなければならぬ幾多の大切な問題があります。  そもそも親鸞聖人覚如上人、蓮如上人の御相伝なされた 唯一絶対の教…
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なぜ破邪顕正に徹し切らないのか

 受け難き人身を受け、遇い難き善知識に遇わせて頂くほどの幸せは他にない事は今更いうまでもないが、 浄土真宗の門徒は果してどれほどその幸せを感じているだろうか。 親鸞聖人の血を吐く雄叫びにどれだけ相応しているだろうか。 「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず、仏の怨敵なり」(涅槃経) を金科玉条として真実開顕に挺身された親鸞聖人を絶…
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平生業成の浄土真宗での本当の意味

平生とは臨終に対する言葉で平常の時をいい、業成とは業事成弁の略語であって、 往生の業因が完全に成立したことをいう。 すなわち、臨終の時節をまたず、平生信心獲得の一念に往生の業因が成就して将来浄土に往生することに定まったということである。  平生業成という語は覚如上人にはじまったといわれ、浄土真宗の骨格をなす最も大切な言葉の一つ…
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不撓不屈の小野田寛郎さん

グアム島で発見された横井庄一さんが最後ではなかった。 今度はフイリピンのルバング島で元日本兵が見つかった。 小塚金七さんは不幸にして“戦死”したが傷つきながらも再びジャングルヘ逃げかえった 小野田寛郎さんは大がかりの捜索に何の反応も示さない。 小塚さんの遺品などからも戦争のおわったことは先刻承知のはず、 昼夜をとおしての肉…
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浄土真宗の往生とは

私達は日常生活の中で、よく往生という言葉を使う。 しかし、往生という言葉の正しい意味を知って使っている人は非常に少ない。 たとえば「昨目、山の中で自転車がパンクして往生したわい」とか 「うちのお婆ちゃん昨日往生しました」とかいう場合に、 往生という言葉を使っている。  往生を弱ったこととか、困ったとか、死んだことという…
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法論と法難と

 その昔三日二夜を通して時の主上の面前で法然上人が、 浄土門の主張、衆生の根気、念仏の限りない御力を論じ尽されたといわれる大原問答は 今に人々に語り伝えられ、いいつがれている事は余りにも有名なことである。 いかに三塔の修業者も聖道門の専門家も、そこを通り越して、遂に撰択本願念仏の真髄にふれ、 凡機のまま救われた法然上人には火…
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輪島の御陣乗太鼓

先日輪島の御陣乗太鼓を見る機会に恵まれた。 昔、海からやって来た敵に対し恐ろしい面をつけた男達が海辺で太鼓をたたき敵を追っ払ったそうだが、それが今も郷土芸能御陣乗太鼓として残されている。 その日もたい松の下で、七人の若者が恐ろしい面をつけて太鼓をたたいていた。 あたりに肌寒いまでの殺気を感じさせ、ひとつひとつの動きにそつがなく、細…
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浄土真宗で法論が起きる理由(本願寺)

前々回の記事で、浄土真宗で法論が起きる一つの理由として 東西本願寺はじめ真宗十派は、 親鸞聖人や蓮如上人が御明示なされた御名号を御本尊とせず、 他流の者が好む木像を本尊として、公然と両聖人の御教示に違反し、 浄土真宗の教法をねじ曲げ破壊しているからだ ということを明らかにいたしました。  次に重大な本願寺の人々のあやまち…
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火の如き執念を持て

元横綱若乃花は 「稽古をする者としない者は、はいている下駄を見れば一目で判る」 と言うが、相撲の稽古では足の親指に力が入る。 それが習慣となって、下駄をはいても親指に力が入るから、その部分がへこんでくるのである。 又「タタミの上も土の上も同じ」 であり、「使い走りも稽古のうち」であると若乃花は断言するが、その言い方に徹底し…
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なぜ浄土真宗の中で法論が起きるのか

同じ浄土真宗でありながら、派が分かれ、教義論争が起きたりもしています。 和気あいあいでお互い手を取り合って 親鸞聖人の教えを明らかにすることはできないのでしょうか。 そういう意見も一応ごもっともなことに思われますが、 現在の本願寺はじめ真宗十派がいかに親鸞聖人や蓮如上人の教えに反し、 浄土真宗の教えと異なるかを知らないから…
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聞法の秋

秋がきた。 そろそろ求道にもアキが来て足を出している人を見かける。 「なかなか難しいねえ」 「阿弥陀様はどこをむいておられるのか」 ああ!後生の一大事を何と心得ているのだろう。 心なき畜生でさえも、家の大事となれば命を捨てるのに、我々は一日として寝食を忘れ、命を投げ出して仏法を求めたことがあるだろうか。 くる日もくる日も…
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仏教で「知識」とは(仏教用語)

 普通知識と言えば、色々な物事に対して知っていることがら、 あるいは、事物に関するはっきりした認識、と理解されている。 そして学問、教養のある人々を知識人とか知識階級とよんだりしている。  しかし仏教で使う場合は全く意を異にする。 我々に仏の教えを説き聞かせてくださる人を仏教では、知識と言う。 現代的に言えば仏教の指導者の…
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ゆとりのある態度

 明治以来欧米の風潮文物が渡来し、いかなることも皆欧米一辺倒となった。 現代日本の経済成長も建築の素晴らしさも、 そして日々訪れる我々身辺の多忙さもこれすべて欧米の様相かと思われるのである。 われわれにとってはどうしても一日48時間は欲しい。 体が3つ程欲しい。 これも欧米並みか?と思われるのだが…。  ところが最近西欧…
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親鸞聖人と謎の女性との出会い

親鸞聖人が、比叡山でご修行なされていた時、 どうしても後生の一大事が解決できず、一度下山して恩師の慈鎮和尚を訪ねた帰りのことである。 「親鸞様、お待ち下さいませ」 と女性に声をかけられた。 親鸞聖人が、 「何か私に用がおありですか」 と振り向かれれると 「これからどちらへ?」 と尋ねる。 「私は山へ帰るところですが」 …
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なぜ親殺しより法ぼう罪が重いのか

仏教では、親を殺す五逆罪よりも、仏教を謗る法謗罪の方が、より重罪だといわれますが、どうも私には腑におちません。 なぜでしょうか? 御不審まことにごもっとものことと思います。  世間一般では親を殺す(仏教ではこれを五逆罪といいます)ことは、 いわゆる尊属殺人としてかつて最も重い罪だということは常識になっているからです。 その…
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長者窮子の譬喩・やるせない阿弥陀仏の御念力

 釈尊出世の目的は我々に阿弥陀仏を紹介する、このこと一つであった。 親鸞聖人はこれを正信偈の中に 「釈迦如来、この世に興出したもう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんとなり」 とズバリ教えておられる。 ところが疑い深い我々は、本当に阿弥陀仏はおられるのか、どこにましますのだ。 という疑いがやまない。 そこで釈尊は、我々の目に…
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全国真宗青年の集い

“全国真宗青年の集い”──これは西本願寺の青年組織である仏教青年連盟(仏青)が 年に一度催す集まりである。 以前、その石川大会が開かれた。 仏青に将来を託している西本願寺当局は門主を筆頭に総動員かけて、 1300名余りの青年を一同に金沢市の観光会館、 そして能登の、励志館に集めたが、 大会そのものは道徳倫理の域を出ない仏…
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自己にも他人にも厳しくあれ

 昔、長い間、総裁の座に君臨してきた佐藤氏も終に引退して新しく田中氏が選ばれたが、総裁選挙でも黒いウワサが乱れ飛び、激しいなじり合いが展開された。 というものの国民から見れば目クソ鼻クソ笑うの類いで、下の下の人間の所業でしかなかった。  人間を四つに大別して、 一つには自己に寛大で他人に厳しい人、 二つには自己に寛大で他人に…
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雑修とは何か

雑行のことについては、雑行とは何かで お答えしましたので次にお尋ねの雑修とは何かについてお答え致します。  浄土真宗では、朝夕の阿弥陀仏の御前での『正信偈』や『御文章』の勤行を読誦正行といいます。 そして阿弥陀仏やその極楽浄土を思念することを観察正行といいます。 一心に阿弥陀仏一仏に向って礼拝することを礼拝正行といいます。 …
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ミケランジェロが彫刻にかける思い

ミケランジェロが一つの石像を彫刻した時の事である。 でき上った後も更に多くの日数をかけて石像のこまかい部分、点までも、ひとつひとつ補工していった。 これを見て友達が 「前に来た時、もう完成したと言っていたじゃないか。 そんな細やかなことに、そんな長い日数をかけるなんて意味がないじゃないか。 それだけの時間があったら別の作品がで…
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浄土真宗で破邪すべき“邪”とは、何か

世上に浄土真宗を好戦的な宗派のように悪評する者がいる。 けだしこれは、親鸞聖人の破邪のきびしさ、激しさに対する反感に違いない。 と同時に、仏教の破邪顕正の正しい意味を知らないところから生じた悲しむべき誤解である。 親鸞聖人は今日まで、たとえ相手が何者であろうとも、微塵の妥協もせず 「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず」 の釈尊…
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雑行とは何か

浄土真宗本願寺派の僧侶が 「他力の雑行雑修もある」 と書いていますが、一体、雑行雑修とは、どんなことでしょうか。 浄土真宗では雑行雑修自力の心をふり捨てなければ絶対に、 阿弥陀仏の救済にあずかることはできないと教えられていますから、 その雑行とは何か、雑修とは何かという質問は大変大切なお尋ねです。  まず、雑行といい…
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お礼の心なら神を礼拝しても良いのでは?

私にとりましては諸仏菩薩、諸神は弥陀如来の分身として化現ましまし私をして仏縁に近づけて下されたお方でございますので、御礼心から念仏で合掌いたすばかりで、別に何事を祈願したり救済の対象としてタノミ信ずる訳ではございませんが、これは間違っておりましょうか。 もし、祈願したり救済の対象としてタノミ、信じたりさえしなければ、諸仏や菩薩や諸…
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お金は死ぬ時に持って行けない

蓮如上人御一代聞書の中に 「堺の日向屋は、三十万貫持ちたれども死にたるが、仏にはなり候まじ、大和の了妙は帷一つをも着かね候えども此度仏になるべきよ」 というお言葉がある。 堺の日向屋の様に、欲にだまされて、家も、金も、山も、田んぼも離せない、惜しい、駄目だと言っておる間に臨終が来て、 無理矢理ひき離されてしまうのだ。 何故…
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歎異抄の悪人正機の意味

仏教ではよく「悪人」という言葉が使われる。 ことに悪人正機という言葉は有名であり、浄土真宗から出た言葉である。 歎異鈔に出て来る言葉であるが、世間の多くの人はこの言葉を大変誤解しているようである。 機というのは私達の姿ということである。 間違った意味は、阿弥陀仏の本願は悪人が正客であり、 どんな悪人でも必ず助けるという約束…
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信心獲得したらハッキリするものかどうか

信心決定の自覚は誰にでもハッキリするものだとのことですが、ハッキリする者も千人に一人位はあるかも知らないが、大体はハッキリしないのが本当らしい。故曾我量深師に直接聞いて見たのですが、 「信心を獲得したと、そんなにハッキリ自覚できるものではない。 知らず知らずいつとはなく尊い心境になって行くものだ」 との仰せでした。 大変大切…
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なぜ浄土真宗では奈良の大仏に礼拝してはいけないのか

先日、会社の人達と関西旅行にいった際、奈良の大仏に礼拝し賽銭を投げて来たことを祖母に話しましたところ 「浄土真宗の者の断じて、してはならない怖ろしいことをして来た」 と大変叱られましたが真宗では悪いことなのでしょうか。 全くあなたの祖母さまの仰言る通りです。 祖母さまは親鸞聖人の本当の御教えを、よく聞いておられる有難い方です…
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親鸞会との法論に破れた本願寺の僧侶の所信表明

 先日、親鸞会青年部親鸞会の講師と西本願寺輔教との間に 1信心決定したら本人にハッキリ自覚出来るのか、出来ないのか 2信心決定した後も雑行雑修することがあるのか、ないのかなどの法論がなされ、 本願寺の僧侶は親鸞会の講師の質問糾明に解答できないまま現在に至っている。 ところがその後、本願寺の僧侶が教務所に於て 親鸞会との法論…
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親鸞聖人は他人を攻撃されなかった?

私は浄土真宗ですが、我が祖師親鸞聖人は、他人の信心をあれこれ非難したり、攻撃されたことは決してなかったと聞かされています。 ひたすら自己の信心を深め、自己を凝視して一生通されたお方と信じていますが違うのでしょうか。 そういう人は、浄土真宗の信者だといっても親鸞聖人という御方を知らない人です。 少しは知っていても聖人の一面だけし…
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臨終に三つあり(三位の臨終)

「あの人は安らかに死んでいったから極楽まちがいない」と言っている人がいる。 しかし平生の時、信心決定していない人は、どれだけ静かな臨終であって、も、一息切れたら無間地獄へ真逆様である。ならば「何故あのような安らかな死に方ができるのか」と言う疑問を抱く人もあるだろう。しかし臨終にも三段階ある事を知れば、この疑問も氷解するであろう。  …
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