顕微鏡のように悪を見逃さない仏眼

顕微鏡と仏眼「一日一善、これは私の人生の教訓であり、今日まで実施してまいりました。どんな小さな善でも勧んでやることであり、やれるのです」 これは世間で「立派な人だ」と尊敬されている人の言葉である。いわゆる世間でいう人格円満、角のとれた人間の常とするところである。  ところが一方、世界の光と仰がれている親鸞聖人は「一生造悪、蛇蝎の如き心…
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浄土真宗の掟とは

蓮如上人が『御文章』に、しばしば「掟」ということを仰言っています。また『領解文』の最後にも「この上は定めおかせらるる御掟一期をかぎり守り申すべく候」と私達は誓約しておりますが、浄土真宗の「おきて」とは、如何なることでしょうか。 このような質問を非常によく頂きます。それだけ『御文章』に親しんでいられる人が多いということで誠に結構なことで…
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過去をふり返って

 阿弥陀仏は遠い遠い昔から何とかして私を救うてやろうと念じ続けておられます。 また善知識は「後生の一大事」をくる日もくる日も叫び続けて下さいます。 にもかかわらずこれまで虚しい過ぎ去ってしまっています。 ふり返ってみると後生の問題を軽くみて、欲望と怒りにひきずりまわされた顛倒の毎日でした。 そこに業の深さを感じ、無始よりの悪業の…
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小欲と大欲

 どんな大きなものでもスッてみせると豪語するスリがいました。 折も折、大きな牛を引いたお百姓さんが通り過ぎた。 ニヤッと笑ったスリ、何を思ったか急に走りぬけた。 仕事帰りの百姓、道を急いでいたが、ふと道端に真新しい靴が片方落ちているのを見つけた。 しかし片方ではどうもナァ、馬鹿な奴もいるものと手もかけずに通りすぎが、やがて半道も…
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四国で浄土真宗の法話

 何ともはや、物騒千万な世の中になったもの!! 一寸ボタンを押せばそれっきり人類の終幕という滅相なものを抱えて、不安と焦燥とにいつも根こそぎ揺さぶられている。 月世界到達だ、宇宙旅行だと空にばかり気をとられている隙に、足元が地につかず肝心の日常生活に大きな空洞ができて、人間相剋暴力肯定、殺人横行と途方もない社会様相になってきた。 …
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阿弥陀仏に救われた思い

 来る年も来る年も、金銭を求めて苦しんでいる。 どれだけ得れば満足するのか。 名誉を追うてあせっている。 どこまで登れば安心できるのか。 財産を望み、色を漁り衣食住の満足を願って365日、狂い廻っているのが私の実相だ。 無限の欲望は一村、一国、世界にひろがってゆく。  咲き誇った花も必ず散らねばならぬ時が来るように、集め…
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阿弥陀如来の保険

忙しい世相を反映してか、続々立ちならぶ生命保険会社。たとえ災害に遭おうが、残された家族の為にと言葉巧みに勧誘にくる。保険屋はもし最悪の事態になっても保険に入っておれば、じたばたしなくてもよいというが、それは金の上の事だけ…しかし、いざ入る段になると、第一回目の掛金後すぐ実効となる有審査(健康診断)のものが目につく。身辺には危険が多いから…
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親鸞聖人の教えを説く人は現代にいる?

南無阿弥陀仏の六字に命をかけ、親鸞聖人の真実の教法宣布に驀進する人が現代にあるだろうか? 善知識親鸞聖人の血のにじむ真実の雄叫び、徹底した破邪顕正。幾多の非難攻撃にもめげず、直実に対しあまりにもきびしく、そしてはげしく…。そんな僧侶は現在の日本ではまったく見られんない。 親鸞聖人の教えをネジ曲げ、葬式や法事を食いものにする既成教団を…
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人間性の回復とは(幸せとは何か)

「2020年は人間性回復の年である」と年頭に述べた会社の社長がかなり多かったと聞くが、果して本当に「人間性回復」の手立てができているのだろうか、言葉だけはあっても、その実、ないのではなかろうかと思うのである。  そんな折、正月元旦、テレビのモーニングショーで「幸せとは何か」というテーマで各界を代表する有識者が討論しておりました。人間性…
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坊主と僧侶・親鸞聖人は僧侶ではない?

今日仏教の僧侶はどの宗派でも坊主と言われることを大変嫌っています。 思うに坊主と呼ばれることに名状しがたい屈辱感を覚えるからでしょう。 坊主はよいとしても坊主にかぶせる冠詞が悪いからです。 糞坊主、生臭坊主、馬鹿坊主、嘘坊主、乞食坊主、盗人坊主、我利我利坊主、ぼこぼこ坊主、三日坊主、坊主丸儲けなど、何でもかんでも悪いことのありった…
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東京砂漠に真実の法灯点さる(四聖諦)

 東京の空はどんよりと暗い「山や田園の朝」を思う私にはもう八時だというのに、何だか明けきらぬ感がした。これもスモッグのせいだろうか。  午前九時半、東京で始めての浄土真宗の御法話会場である渋谷区元代々木町の応慶会館は遠くは熊本、四国、そして千葉、神奈川、八王子市、都内各区、横浜、富山、福井、滋賀から集まった人々で満員である。 当に首…
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浄土真宗は何によって人をひきつけるか

「磁石は鉄を引きつける。何にも目には見えないけれども、見えない力が引きつける。しぜんに鉄を引き寄せる」 ──これは松下幸之助氏の言葉である。 浄土真宗は何を以って人を引きつけるか。 ──それは真実の教えであり、浄土真宗の法話の真剣な聴聞と熱意あふれる顕正の姿にあろう。 知識や能力も大事であろうが何事によらずその人の誠実あ…
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極楽は楽しそうだから行きたいと思う人は極楽に往けない

蓮如上人の『御一代記聞書』に「極楽は楽しむと聞いて参らんと願ひのぞむ人は仏にならず。弥陀をタノム人は仏になる」とありますが、これはどういう意味でしょうか。 蓮如上人がある時、「熱心に仏法を聴聞する人はあるが、他力の信心を早く獲得しようと真剣に求むる人がいない。死んだら極楽へ参って楽をしようと思って浄土真宗の法話を聴聞しているものばかり…
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聞法相続の大切なること

 我々の先覚者は最も宿善厚くなる道として、 一には骨折って聞け、 二には衣食忘れて聞け、 三には間断なく聞けと教えていられる。 いくら真剣に聴聞しても、我々の魂は無始流転のしぶとさであり、 三世の諸仏がアキレ果てたシロものであるから仲々聞いてはくれない。 されば間断なく聞けとお勧めになっている。 親鸞聖人も 「大菩提…
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妙好人Tさんの言葉

滋賀県の親鸞会で大活躍されたTさんが、見事人生究極の目的たる阿弥陀如来の救いにあわれた。 「人身受けがたし、今すでに受く、 仏法聞きがたし、今すでに聞く、 この身今生において度せずんば 更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」 といわれるが、Tさんは人間であることの特権を最大限に生かし切り、深く後生の一大事を見つめ、真剣に仏教を聴聞…
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知られざる親鸞聖人の実像

 親鸞聖人の実像は常に隠され、聖人のみ教は常にネジ曲げられて来た。 本当の親鸞聖人の教法を開顕し全人類救済の大使命に向かって親鸞学徒は猛進している。 大衆の誤解 世間の大衆は親鸞聖人を柔和な優しい所謂、円満な人格者だと信じ込んでいる。しかしそれは、聖人の全像ではない。聖人ほど、気性のはげしい、きかん根性の強い方はなかった。 聖人の肖像…
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最悪の環境問題

「天高く馬肥ゆる秋」 デパートへゆかなければ昆虫採集?ができない現代っ子にとっては縁遠く、 一昔前の人間にとっては何か郷愁をおぼえるこの言葉、ひからびた人心からか、遠い過去のものとなった感がある。  スモッグが低くたれ込み、すさまじい騒音と車の洪水、空から海まで公害に占拠されそうな現在、かってはなかった怒りがこみあげてくる。 …
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日本通史に出てくる浄土真宗の親鸞会

『日本通史』という日本の歴史を21冊にまとめた本があります。その時、富山大学の学長が親鸞会を取材しました。 親鸞会と本願寺で法論が何度もあったので両方を取材しています。 富山大学の教授が1年間、親鸞会へ通って浄土真宗の法話を聴聞しました。その後、本願寺にいきましたが、門前払いでした。 小沢教授たちの資料によれば、親鸞会はすべての資…
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浄土真宗の墓参りの意味

過日お盆に里帰りし墓参りした時、ふと浄土真宗の者が墓参りする意味は、どんなことだろうかと考えこんでしまいました。  真実の仏教を求めていられるなればこそ起きた尊い御不審だと思います。 周知の通り世間ではお盆には死んだ肉親達の霊魂が墓に集まって来るのだから、それらに供養する為に参るのだと信じこまれていますのに、浄土真宗の親鸞聖人や蓮如上…
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ブッダや親鸞聖人は死後は説かれなかった?

死後の世界の存在や、霊魂の存続することについて、ブッダや親鸞聖人は、死後の世界や霊魂の存続を認められず語られなかったように思いますが如何なものでしょうか。そのような仏教観をもっている人は今日相当あるようです。しかしそれは果して正しい見解でしょうか。  ブッダが死後の世界や霊魂(仏教では霊魂という言葉は使用しませんが、仮に)の存続を認め…
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近代システムと浄土真宗

 最近、産業、政治、教育界などで盛にいわれる言葉にシステム化ということがある。極めて高度化し、複雑化した社会全体がさらに他国をぬき人間の世、開闢以来の発展成長の為に誰も彼もが、しのぎをけずって進展するための方法的仮設である。 システムという語をウエヴスター大辞典で見ると「ある共通の計画に従う、また、ある共通の目的に奉仕する多種多様な部分…
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人生の目的、絶対の幸福とは

人生究極の目的は絶対の幸福だと言われますが、絶対の幸福とはどんな幸福を言うのでしょうか。また親鸞聖人はどこにそんなことを仰言っていられるのでしょうか。仏教では幸せと言われるものを二つに分けます。一つは相対的幸福と言わるべきものと、絶対の幸福と言われるものです。 相対的幸福とは、一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦し…
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2020年の浄土真宗

偉大なる足跡を残して、浄土真宗は2020年の春を迎えた。 この一年、ますます忙しく、親鸞学徒は浄土真宗の法話を迫られるだろう。 経済的には豊かになったけれども、めまぐるしく移り変る社会環境の変化に、大衆は自己を見つめる間もなく、しのぎを削っている。 この疲れきった大衆の心を癒しきれるものは親鸞聖人の教えより他にない。 五欲に溺れ…
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宿善の厚薄ということ

すべては聞法心、求道心如何にかかる  浄土真宗の根本は一念往生にある。阿弥陀如来の本願は一念でわれらを救いとって下される無上の勝法だからである。しかし信心獲得の時期に前後不同ができるのはどうしたわけであろうか。宿善まかせ、無宿善力およばずといわれるように、これひとえに各自の宿善の厚薄によることを知るべきである。されば我々の宿善の有無や…
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激動の70年と浄土真宗

エコノミック アニマル 1969年、それは激しい変動の年であった。東大安田城の攻防戦に明け、沖縄、安保の師走選挙で暮れたが、まさに世はスピード時代、昔の10年が今の1年、一世紀が10年のテンポでめまぐるしく移り変ってゆく。 国民総生産高世界第3位、西欧先進国の倍以上もの早さで進む経済成長は物質文明全盛時代をもたらした。物質の豊かさは消費…
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親鸞聖人の教えと礼儀

礼の心は悲歎から  現代青少年はそして一般も含めて、情操の音痴であり、礼儀の白痴であると嘆いている者がある。学校教育に問題があり、教師の怠慢だと罵る者もあれば、その前に家庭教育に問題がある、お母さんの悪いのが揃っている現代ではどうしようもないなどと嘆く者もいる。  最近浄土真宗でもこの点について非常に関心が高まり日常の行動につい…
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なぜ阿弥陀仏が本師本仏なのか

阿弥陀仏を本師本仏とか、本師法王といわれる理由は何でしょうか、お尋ね致します。 阿弥陀如来は光明無量、寿命無量、智慧と慈悲の如来であることは多くのお経に明らかですが、中でも、阿弥陀仏の勝徳は、光明智慧無量であることだと、親鸞聖人は讃嘆なされています。  それは、すでにブッダが出世本懐経たる『大無量寿経』に於て「阿弥陀如来の威神光明は…
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ホモ・サピエンスは 殺しあいが好き

「ホモ・サピエンス」とは「知恵ある人」ということである。東大の脳研究所の時実(ときざね)利彦所長の『脳の話』の中に次のようなことが書いてある。 「…興奮と感激のるつぽに溶けこませた太陽の国メキシコのオリンピックもその幕をおろした。「オリンピックは勝つことではなく参加することだ」とクーベルタン男爵が教えてはいるものの、やはり祖国日本の代…
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他力の大信心は母乳の味・平等一味の世界

親鸞聖人は他力大信心の妙徳を母乳に喩えて、寒暑同味、転苦吐甘、尊卑同一の三徳があると教えられている。寒暑同味の徳とは母乳が厳冬に飲んでも酷暑に飲んでも乳児には適温になって与えられるように真実の他力信心は、何時でも何処でも変らぬ味がするということである。転苦吐甘の徳というのは、母親が何を食べてもおいしい乳とするはたらきを持つように、他力の…
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聞即信とはどういうことか

浄土真宗の御法話に、よく聞即信という言葉が使用されますがどんなことでしょうか。  お尋ねの聞即信という言葉は阿弥陀仏が我々を絶対の幸福に救済して下される時のことを表わす言葉で、浄土真宗にとっては大変大切な言葉です 阿弥陀仏のお誓いは「聞其名号信心歓喜」とありますように、聞いて信ずる者を助けるという御約束ですから、聞くということが…
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