信心をとりて礼にせよ

蓮如上人の真面目
「無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて、礼にせよ」
多勢の人が歳末のお礼に来た時蓮如上人が仰言ったお言葉である。

 生涯、「信をとれ信をとれ」
「一日も片時も早く、信心決定せよ」
と叫びつづけられた蓮如上人の面目躍如としてあらわれているではないか。
信心をとる」とは阿弥陀如来の大願業力によって絶対の幸福になるということである。
絶対の幸福は人生最後の目的である。
すべての人々の生きる意味は何か。
金か、健康か、財産か、女か、名誉か、地位か。
「まことに死せん時は、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路の末、三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。たのむべきは弥陀如来ばかりなり」

 医者じゃ、薬じゃ、看護婦じゃと八方手を尽しても無常の垣にはならないぞと蓮如上人は追い打ちをかけていられる。
せまい日本だけでさえ、毎年一万人以上も交通事故で死んでいる。
今年のはじめ頃は「おめでとうございます。今年もどうぞよろしく」と挨拶していた人達である。
まさか今年が自分の死ぬ年だなどとは夢にも思っていなかったに違いない
「今までは他人のことだと思ったに、オレが死ぬとは、こいつたまらぬ」
と泣いて死んだ医者があったそうだが、他人は死んでも自分だけは特別だと思っている者ばかりである。
否、そんなことさえも考えずに煩悩の泥田の中で五欲の蝶を追い廻しているうちに便ツボにおちこむものばかりである。

うかれ踊って 地獄の滝ツボ……
 はう子も立つ子も我慢を通したいともがいている。
学生は成績のを苦にして悩んでいる。
大人は色欲の為に身を焦している。
労働者は楽をして賃金を多く得ようとし資本家は酷使して暴利を貪ろうとしている。
学校を優等で卒業した。
美しい嫁を貫った。
子供ができた。
名誉も地位も占めた、さてその先の勘定は誰がするのか。
うかれて踊って、さわいでいるままが、地獄の滝ツボめがけて全人類は突走っているのだ。
死をのがれ切る者は一人もいないのに、なぜ皆んなは驚かないのだろう。
他人の後生ではあるまいになぜに解決のつくまで求め切らないのだろうか。
導く者がいないのか。
求める人がいないのか。
噫……いかに宿善まかせとはいいながら……
 年末年始の虚礼にだまされて、人生究竟の目的である、信心決定を忘れてはならないぞ。
蓮如上人の悲歎のほどが察せられるではないか。
破邪顕正と聞法の浄土真宗の法話に真剣に突撃しよう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント