仏教は何のためにあるのか

本願寺の責任といえばそれまでであるが、仏教を誤解して葬儀などの死人のものとしている者が世間には余りにも多い。
 だから私は仏法をことさら求めなくてもよい。人よりは真面目な生活を送っているし、誰とも仲良く、ケンカ争いもしない、又家庭も円満におさまっているからたとえ死んでもそんな悪いところへは行かんだろうという人をよくみかける。

 しかし法然上人、親鸞聖人よりも徳が高いとは思われない。
しかるに法然上人は十悪の法然、愚痴の法然房と仰言っているし、又、親鸞聖人は無漸無塊、自分に恥ずる心も、人にはずる心もなく歎異抄には「地獄は一定すみかぞかし」と必堕無間の自性を見ぬいておられるのをどう解釈したら良いのか。

 思えば道徳の本家、孔子は「我れ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」とその分際を弁えているではないか。
 仏教の本意はあくまでも後生の一大事の解決を教え、その為にはこの世で絶対の幸福を獲ることが先決問題であることを銘記すべきである。
これが人生究極の生きる意味であるからである。
よくよく浄土真宗の法話聴聞して、

「人身受け難し、今すでに受く、
 仏法聞き難し、今すでに聞く。
 この身今生において度せずんば、更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」

の仏語を今一度よくよくかみしめるべきである!!


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