過去をふり返って

 阿弥陀仏は遠い遠い昔から何とかして私を救うてやろうと念じ続けておられます。

また善知識は「後生の一大事」をくる日もくる日も叫び続けて下さいます。

にもかかわらずこれまで虚しい過ぎ去ってしまっています。

ふり返ってみると後生の問題を軽くみて、欲望怒りにひきずりまわされた顛倒の毎日でした。

そこにの深さを感じ、無始よりの悪業の積み重ねを思うとき、地獄より行き場のない自分が判るのですが、一方、を悪とも思わず、業を業とも感ぜず、一大事を一大事とも思わず、死なないと思っている─因果応報を信じない顛倒した、しびれ切った根性もあり、こいつが真実をはねつけていることがかすかに判ります。


 この心こそが一大事なのだ、この正体がわからねば仏教を聞いたことにはならないといわれますがなかなかきいてもきいても判りません。

そこでどうしたら、どうしようのくり返しですが、次から次と崩れ去って行きます。

そして行きつくところは、やっぱり真剣な聴聞より他に道がないということです。


 また聞き難い大法を今聞かせていただいているのも、遇い難い善知識に遇わせていただいたからこそです。

それなのに、その有難さも判らず、尊敬する心も浅い、そして恵まれた仏縁を大切にする気持も薄い。

よく考えて、浄土真宗の法話を真剣に聞かねばならぬと思います。


 親鸞学徒の皆さん、生きる意味は唯一つ「信心決定」あるのみです。

何が何でもその生きる意味を達成せねばなりません。

一寸先もわからないはかない命です。

「今日聞こえなかったら明日も聞こえないのだ」
を肝に銘じ、
「こいつが今一息つまったらどうするのだ」
ととりつめ真剣な聴聞と破邪顕正に全力を傾けて猛進しようではありませんか。


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