他宗を誹謗することは反って真宗を傷つけるのではないか

浄土真宗の広宣の点ですが、他宗(新興宗教も)を誹謗することは反って真宗を傷つけます。
他宗とて皆国家の法律により許可され布教する権利をもっております。
無願無信の大部分の国民に少しでもに導く宗教があれば宗教家として大いに慶賀すべきことです。
真宗が最高の宗教と打ち出す処に高級インテリーの猛烈の反感があります。
これは私が診療上実験せし事実です。

布教のバックボーンは聖人と一味の他力信心

 この御忠告にお答えする前に私は、親鸞聖人の教えを宗教の真髄と信奉し、聖人と一味平等の他力信心を体得し、聖人の御教えを身命を賭して布教広宣している者であるという私の立場を先ず明確にしておきたいと思います。
 その点、幸いにもあなたは「真宗は実に宗教の真髄根本だ」と自認なされていますので、私と全く同感であり、真宗に対する深い御理解、大変、たのもしく嬉しく思っております。
 御承知の通う浄土真宗を開顕なきれた親鸞聖人の御教えは、その主著『教行信証』六巻に余すところなく著されていることは周知の事実であり、真宗の根本聖典とされるのも至極当然のことと言わなければなりません。

三重廃立こそ教行信証の精神

 されば真宗の真髄、親鸞聖人の信心や教義を知るには、何をおいても先ず『教行信証』を熟読翫味しなければなりません。
『教行信証』六巻に説かれている聖人の御教えを一言であらわさば三重廃立であることは拝読する者の等しく認める明白な事実です。

 仏教で廃立と申しますのは、廃は捨てもの、立は信じ立つべきものということですから、三重の廃捨すべきものと信じ立つべきものとを明示なされたものが『教行信証』六巻の御教示です。
 一に内外廃立、二に聖浄廃立、三に真仮廃立がそれです。

 真宗に深い御理解あるあなたには解説するまでもありませんが、明らかにこれは
「浄土真宗以外の全宗教や他宗は邪教であり、邪宗であるから、ことごとく廃し捨てよ」
ということ、です。

 これは「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず、仏法中の怨なり」の釈尊の御遺言を忠実に実践し
「親鸞、更に珍しき法を弘めず、釈迦の教法を我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」
の聖人の御持言を証明する以外の何ものでもありません。

 破邪とは仏教に対立する偏見、邪説を破ることであり、顕正とは正しい仏意を開顕することですから、破邪せずしては顕正はならず、顕正せずしては仏弟子の任務は果せません。

“破邪顕正の”親鸞聖人の実像

 一切を抱擁し、何人とも争わず黙々として自己の道を歩まれたのが親鸞聖人のように思っている人々にとっては、まさに晴天のへきれきの如き驚きかも知れませんがこれを機縁に聖人の実縁を知って頂かなければなりません。
 若し、余りにも意外に思われ、その根拠の提示を求められるならば、いくらでも明示致しますが、余りにも明らかなことですので今は省略させて頂きます。

 その昔、大聖釈尊が正法宣布されてさえも罵詈讒謗した善念あり命さえ狙った提婆達多があったのですから、いくら親鸞聖人が釈尊の御遺言を死守し真実の仏意開顕の為に破邪なされても、相手方からは誹謗であり、攻撃されたとしか受けとられないのは、この世の悲しいさだめなのでしょう。

 聖人の破邪の激しさは遂に当時の権力者の逆鱗に触れ、死刑の宣告までなされましたが九条関白の計いで流刑に処せられた歴史的一事をみても、如何に聖人の破邪がきびしく且つ激しかったかを知ることができましょう。

 もし、巷間信じ込まれているように肉食妻帯ということのみが流刑の原因ならば一生清僧で貫かれた法然上人の同時流刑はあり得なかったはずです。

 親鸞聖人にとっては猛然の反感の相手が高級インテリーであろうと、時の権力者であろうと、身は八つ裂きにされようとも、大衆を迷わせている邪教や、さかしらな倫理や道徳の世界にウロチョロしている一切の他宗を破邪し、大衆を無碍の大道へ導き救う為に、一刻も早く仏意を開顕すること以外に生き甲斐はなかったのです。

「正しい宗教」は法律・道徳・倫理では計れない

『教行信証』の精神から申しますと、たとえ国家の法律によって布教が認められているということだけで「正しい宗教だ」などという常識論は一切成立致しません。

 又、「世の中の為になり、国民を少しでも善に導くものが宗教だ」と思っている人もありますが、これも倫理や道徳と宗教の区別のつかない宗教的無知から生ずる思考であって、それではお上手にも、宗教の真髄根本が判っているとはいわれません。

 真実の仏教は必ずしも国家社会の利益に奉仕するものではありません。
時には国家を否定し社会秩序を乱す場合もあるからです。
聖人の流刑も、その一例ですが、だからこそ四面楚歌の渦巻く中での聖人決死の破邪顕正に私達は文句なしに頭が下がるのです。
しかも、その破邪のきびしさは聖人の御一生を貫いたことは、聖人84才にして50才の長男善鸞を義別なされた事実を知れば充分でしょう。

「教行信証」に則る布教理念
 我々仏教者の身命を賭しても死守せねばならぬ大使命は真実を開顕し、真実を曲げずにいかに伝えるか、というところにあります。
 しかる後、いかにしてより多くの人々に早く伝えることができるか、が私達の布教理念でございます。

 その為には種々に善巧方便されることの必要性は重々に理解致しておりますが、大衆の耳に入りにくいといって、帽子に合せる為に頭を削るというような馬鹿げたことは絶対にできません。

 治病等の現世利益は人間、誰れしも願うところですが、仏教がこれに無批判に迎合すると、仏教の生命を自ら裁つことになります。

 大体、理論上から申しましても絶対の信心を説く真宗の立場からは善悪相対を説く一切の宗教が肯定される筈がなく、徹底的に否定されねばならぬことは理の当然なことなのです。
相対的一切を否定し切るという一大関門を通らぬ限り、無碍の信境に勇飛することは絶対に不可能事であること位は御賢察願えることと信じます。

 以上、私は常に「教行信証」の精神に則とり布教広宣している者であるということと、それが真宗を傷つけることには絶対ならないという信念を顕らかに致しました。
 最後に、仏教の難解な言葉を、もっと真宗布教人は判り易くせよとの御指導、全く恐縮致します。
 浅学菲才の身にとって甚だ難しい課題ですが、今後も御期待に少しでも添うよう全力を尽したき所存です。

真宗を破滅させる者は誰か

本願寺の僧侶等に何ができましょうぞ。
本願寺機構は崩壊する方が真宗興隆の為に上々と思います」
と断言なさるあなたの意気に私は大々的に投合致します。

 真宗を破滅せしむる者は他に非ず、他力真実の信心のない真宗の僧侶です。
 最後に私は真宗の発展を心から念じている真宗布教人の一人ですが、決して僧侶ではないことを付記致しておきます。




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