生首の説法

「たいへんだ上人様ーっ」
「比叡山の犬神人共が押し寄せてきたぞーっ」
まだ誰一人として朝の眠りから醒め切らぬ京都大谷の本願寺に突如悲鳴と門を破壊する音とがしじまを破った。

 寛正六年正月十一日の未明、本願寺第八代蓮如上人の御時になって七年目のことである。
当初の本願寺は親鸞聖人御入滅後、聖人の一番末の御息女覚信尼始め関東の同行達の力によって聖人の御真影をお守りするために結ばれた四間四方の小さな御堂であった。
それでさえ参詣する人も少なく維持してゆくことさえ難しいような事態が続いた。
そんなとき、「平生只今救われる弥陀の本願まことであったぞ」と恩徳讃の旗のもと進軍の指揮を取られた御方が蓮如上人であった。
まもなく上人の救われた喜びに燃えたぎる魂が大衆の心を揺振って各地に法の灯が燃え上がっていった。
ところが活発な動きを見せ始めた本願寺を比叡山が邪法を流布しているとの口実で弾圧に乗り出したのである。

「よーく聞け邪法を説いて大衆をだます奴は許してはおけぬ」
「仏罰を受けろ」
「そーれたたきつぶせ」
松明が揺れ、槍の穂先が光る。
もう彼らは本堂へ上がり土足で物色を始めた。
とても数人の門弟ではふせぐことは無理だ。
一同は御本尊と聖人の御真影を背に蓮如上人をお守りして朝露にぬれながら山あいの道を近江へ逃がれた。

 一方上人をお迎えした近江の金が森の道西を中心とする赤野井門徒や堅田門徒の源右衛門達は、叡山の仕うちに驚き腹を立てたが、それより本願寺再興を目指して沸き立ったことは言うまでもない。
毎夜上人の御宿舎、堅田の本福寺に集まり談合が続いた。
特に源右衛門は漁で長年鍛えたごつい身体を揺すって赤ら顔を綻ばせると大声で、
「上人様、オラはもっと何千人でも入れるようなでかい寺を建て弥陀の御本願を弘めよという阿弥陀仏の御心と味わいますだ。
こんな幸福にして貰うた源右衛門、金は無えが命をかけてさせてもらいます」と一番先に立ちあがった。
この頃一同はやがて大事件が待っていようとは知る由もなかった。

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