極楽は楽しそうだから行きたいと思う人は極楽に往けない

蓮如上人の『御一代記聞書』に「極楽は楽しむと聞いて参らんと願ひのぞむ人は仏にならず。弥陀をタノム人は仏になる」とありますが、これはどういう意味でしょうか。 蓮如上人がある時、「熱心に仏法を聴聞する人はあるが、他力の信心を早く獲得しようと真剣に求むる人がいない。死んだら極楽へ参って楽をしようと思って浄土真宗の法話を聴聞しているものばかり…
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聞法相続の大切なること

 我々の先覚者は最も宿善厚くなる道として、 一には骨折って聞け、 二には衣食忘れて聞け、 三には間断なく聞けと教えていられる。 いくら真剣に聴聞しても、我々の魂は無始流転のしぶとさであり、 三世の諸仏がアキレ果てたシロものであるから仲々聞いてはくれない。 されば間断なく聞けとお勧めになっている。 親鸞聖人も 「大菩提…
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妙好人Tさんの言葉

滋賀県の親鸞会で大活躍されたTさんが、見事人生究極の目的たる阿弥陀如来の救いにあわれた。 「人身受けがたし、今すでに受く、 仏法聞きがたし、今すでに聞く、 この身今生において度せずんば 更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」 といわれるが、Tさんは人間であることの特権を最大限に生かし切り、深く後生の一大事を見つめ、真剣に仏教を聴聞…
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知られざる親鸞聖人の実像

 親鸞聖人の実像は常に隠され、聖人のみ教は常にネジ曲げられて来た。 本当の親鸞聖人の教法を開顕し全人類救済の大使命に向かって親鸞学徒は猛進している。 大衆の誤解 世間の大衆は親鸞聖人を柔和な優しい所謂、円満な人格者だと信じ込んでいる。しかしそれは、聖人の全像ではない。聖人ほど、気性のはげしい、きかん根性の強い方はなかった。 聖人の肖像…
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最悪の環境問題

「天高く馬肥ゆる秋」 デパートへゆかなければ昆虫採集?ができない現代っ子にとっては縁遠く、 一昔前の人間にとっては何か郷愁をおぼえるこの言葉、ひからびた人心からか、遠い過去のものとなった感がある。  スモッグが低くたれ込み、すさまじい騒音と車の洪水、空から海まで公害に占拠されそうな現在、かってはなかった怒りがこみあげてくる。 …
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日本通史に出てくる浄土真宗の親鸞会

『日本通史』という日本の歴史を21冊にまとめた本があります。その時、富山大学の学長が親鸞会を取材しました。 親鸞会と本願寺で法論が何度もあったので両方を取材しています。 富山大学の教授が1年間、親鸞会へ通って浄土真宗の法話を聴聞しました。その後、本願寺にいきましたが、門前払いでした。 小沢教授たちの資料によれば、親鸞会はすべての資…
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浄土真宗の墓参りの意味

過日お盆に里帰りし墓参りした時、ふと浄土真宗の者が墓参りする意味は、どんなことだろうかと考えこんでしまいました。  真実の仏教を求めていられるなればこそ起きた尊い御不審だと思います。 周知の通り世間ではお盆には死んだ肉親達の霊魂が墓に集まって来るのだから、それらに供養する為に参るのだと信じこまれていますのに、浄土真宗の親鸞聖人や蓮如上…
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ブッダや親鸞聖人は死後は説かれなかった?

死後の世界の存在や、霊魂の存続することについて、ブッダや親鸞聖人は、死後の世界や霊魂の存続を認められず語られなかったように思いますが如何なものでしょうか。そのような仏教観をもっている人は今日相当あるようです。しかしそれは果して正しい見解でしょうか。  ブッダが死後の世界や霊魂(仏教では霊魂という言葉は使用しませんが、仮に)の存続を認め…
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近代システムと浄土真宗

 最近、産業、政治、教育界などで盛にいわれる言葉にシステム化ということがある。極めて高度化し、複雑化した社会全体がさらに他国をぬき人間の世、開闢以来の発展成長の為に誰も彼もが、しのぎをけずって進展するための方法的仮設である。 システムという語をウエヴスター大辞典で見ると「ある共通の計画に従う、また、ある共通の目的に奉仕する多種多様な部分…
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人生の目的、絶対の幸福とは

人生究極の目的は絶対の幸福だと言われますが、絶対の幸福とはどんな幸福を言うのでしょうか。また親鸞聖人はどこにそんなことを仰言っていられるのでしょうか。仏教では幸せと言われるものを二つに分けます。一つは相対的幸福と言わるべきものと、絶対の幸福と言われるものです。 相対的幸福とは、一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦し…
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2020年の浄土真宗

偉大なる足跡を残して、浄土真宗は2020年の春を迎えた。 この一年、ますます忙しく、親鸞学徒は浄土真宗の法話を迫られるだろう。 経済的には豊かになったけれども、めまぐるしく移り変る社会環境の変化に、大衆は自己を見つめる間もなく、しのぎを削っている。 この疲れきった大衆の心を癒しきれるものは親鸞聖人の教えより他にない。 五欲に溺れ…
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宿善の厚薄ということ

すべては聞法心、求道心如何にかかる  浄土真宗の根本は一念往生にある。阿弥陀如来の本願は一念でわれらを救いとって下される無上の勝法だからである。しかし信心獲得の時期に前後不同ができるのはどうしたわけであろうか。宿善まかせ、無宿善力およばずといわれるように、これひとえに各自の宿善の厚薄によることを知るべきである。されば我々の宿善の有無や…
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激動の70年と浄土真宗

エコノミック アニマル 1969年、それは激しい変動の年であった。東大安田城の攻防戦に明け、沖縄、安保の師走選挙で暮れたが、まさに世はスピード時代、昔の10年が今の1年、一世紀が10年のテンポでめまぐるしく移り変ってゆく。 国民総生産高世界第3位、西欧先進国の倍以上もの早さで進む経済成長は物質文明全盛時代をもたらした。物質の豊かさは消費…
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親鸞聖人の教えと礼儀

礼の心は悲歎から  現代青少年はそして一般も含めて、情操の音痴であり、礼儀の白痴であると嘆いている者がある。学校教育に問題があり、教師の怠慢だと罵る者もあれば、その前に家庭教育に問題がある、お母さんの悪いのが揃っている現代ではどうしようもないなどと嘆く者もいる。  最近浄土真宗でもこの点について非常に関心が高まり日常の行動につい…
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なぜ阿弥陀仏が本師本仏なのか

阿弥陀仏を本師本仏とか、本師法王といわれる理由は何でしょうか、お尋ね致します。 阿弥陀如来は光明無量、寿命無量、智慧と慈悲の如来であることは多くのお経に明らかですが、中でも、阿弥陀仏の勝徳は、光明智慧無量であることだと、親鸞聖人は讃嘆なされています。  それは、すでにブッダが出世本懐経たる『大無量寿経』に於て「阿弥陀如来の威神光明は…
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ホモ・サピエンスは 殺しあいが好き

「ホモ・サピエンス」とは「知恵ある人」ということである。東大の脳研究所の時実(ときざね)利彦所長の『脳の話』の中に次のようなことが書いてある。 「…興奮と感激のるつぽに溶けこませた太陽の国メキシコのオリンピックもその幕をおろした。「オリンピックは勝つことではなく参加することだ」とクーベルタン男爵が教えてはいるものの、やはり祖国日本の代…
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他力の大信心は母乳の味・平等一味の世界

親鸞聖人は他力大信心の妙徳を母乳に喩えて、寒暑同味、転苦吐甘、尊卑同一の三徳があると教えられている。寒暑同味の徳とは母乳が厳冬に飲んでも酷暑に飲んでも乳児には適温になって与えられるように真実の他力信心は、何時でも何処でも変らぬ味がするということである。転苦吐甘の徳というのは、母親が何を食べてもおいしい乳とするはたらきを持つように、他力の…
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聞即信とはどういうことか

浄土真宗の御法話に、よく聞即信という言葉が使用されますがどんなことでしょうか。  お尋ねの聞即信という言葉は阿弥陀仏が我々を絶対の幸福に救済して下される時のことを表わす言葉で、浄土真宗にとっては大変大切な言葉です 阿弥陀仏のお誓いは「聞其名号信心歓喜」とありますように、聞いて信ずる者を助けるという御約束ですから、聞くということが…
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なぜ大経だけが真実の御経なのか

親鸞聖人は、なぜ、大無量寿経だけが真実の経だといわれたのでしょうか。 親鸞聖人は『教行信証』の中に「それ真実の教をあらわさば、大無量寿経これなり」と明言なされております。 これは、ブッダの説かれた経典は八万四千とか七千余巻とか言われる程、たくさんありますが、ブッダの本心を説かれた、いわゆる出世本懐中の本懐経は、大無量寿経、た…
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今度だけは 仏法のために死なせてくれ・求法太子

 昔、ある国王が「太陽が出ている間に走り廻った土地を、その者に与える」というフレを出した。一人の百姓が早速志願した。彼は太陽が地平線に顔を出したのを合図に出発点の丘を勇躍して飛び出した。  太陽が沈むまでに出発点へ帰りついていなければ一日の努力が水泡になる規定である。一歩でも遠くまで足をのばして広い土地を得ようとする欲によって、彼の力…
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信行両座の諍論とは(三大諍論)信心か念仏か

親鸞聖人が法然上人の御弟子であった時に、その法友達と三度も激しい諍論をなされたということを、しばしばお聞きしますが、どんなことで諍論なされたのでしょうか。 第三の親鸞聖人の諍論は信行両座の諍論といわれているものです。これは、折角聖道自力の仏教が方便であることを知らされて多生にもあい難い阿弥陀如来の本願に遇い、同じく阿弥陀如来一仏を礼拝…
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仏教は何のためにあるのか

本願寺の責任といえばそれまでであるが、仏教を誤解して葬儀などの死人のものとしている者が世間には余りにも多い。 だから私は仏法をことさら求めなくてもよい。人よりは真面目な生活を送っているし、誰とも仲良く、ケンカ争いもしない、又家庭も円満におさまっているからたとえ死んでもそんな悪いところへは行かんだろうという人をよくみかける。  しかし法…
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信心同異の諍論とは

親鸞聖人が法然上人の御弟子であった時に、その法友達と三度も激しい調論をなされたということを、しばしばお聞きしますが、どんなことで諍論なされたのでしょうか。 聖徳太子を尊敬され「和をもって貴しと為す」の精神で一生貫かれた親鸞聖人に激しい大諍論が三回もあったということは信じられないことかも知りませんが事実なのです。これを聖人の三大諍論とい…
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信ずるということ 知るということ

 あの人ならと信じていたのに裏切られた、などということをよく耳にする。さも意外なことのようにきこえるが考えてみればありうることなのである。 信ずるという言葉は、疑いという言葉と表裏一体となって成立している言葉であるからである。疑いがあるから信ずるというのである。  ちなみに、明日の天気はと問われれば、雨だと思うとか、曇だと信ずるとしか…
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物質天国は幸せ?

昔、国立統計数理研究所が日本人の宗教的態度について世論調査をしたところ、(同じ調査をフランスが欧米八ヶ国で行った)「この世に神や仏がいるか」の問いに、肯定するもの欧米は70〜80%、日本は24%だそうで、次いで「この世は幸福になって来たか」の問いに、肯定は欧米が30〜40%に対し日本は70〜80%だった。  詳しくは判らないが大変面白…
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往生について浄土真宗の祖師・親鸞聖人の闘い

死後の救いか現在救われるのか。体失不体失往生の諍論に聞く  親鸞聖人を柔和な方のように思っている人が多い。確に聖人には慈悲の権化のような面もあるが、それよりも秋霜烈日たる峻厳さこそ聖人の真面目と私は憶う。聖人の御一生は正に破邪の法戦の連続であったといって過言ではない。親鸞聖人の御降誕を縁として、その法戦の一つ、体失不体失往生の諍論を書…
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「天上天下唯我独尊」とは

ブッダは誕生なされた時に「天上天下唯我独尊」と言われたそうですが、仏教は、そのような独尊的な教えなのでしょうか。  大変、世間一般に誤解されている仏教の言葉です。確かに、釈尊が誕生された時に、天と地を指さゝれて「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと記録されています。 これを多くの人々は「この世で一番、偉くて尊いものは自分一人である」と釈尊が…
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まず心の臨終を

浄土真宗には二度の臨終、二度の葬式があると聞きましたが、どんなことでしょうか。  二度の臨終といいますのは、心の臨終と肉体の臨終のことです。故に、二度の葬式というのも同じく心と肉体の葬式をいいます。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の本願を信ずる直前に我々は一度死ぬのだと仰言っています。その直後、生きかえった時が阿弥陀如来に救われた時であると…
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親鸞聖人と柴田勝家

まことの厳しさと私情の恐ろしさ親鸞聖人は、真実の為には吾子をも勘当 建長8年5月29日、84才の親鸞聖人が、遠く関東に布教していた吾子善鸞に義絶状を送り「あさましさ、申すかぎりなければ、いまは親ということあるべからず。子と思うこと、おもいきりたり。かなしきことなり」と親子の縁をキッパリと断ち切っておられる。  善鸞が、「わしは父、親…
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阿弥陀如来に抱かれて尊き親鸞学徒の皆様へ

「生き仏、如何に攻撃受けようと ビクともしない金剛心」 尊き偉大なる善知識の御心中を歌わせて頂きました。尊き親鸞学徒の皆様、この広い世界に善知識と名のつく人は一体どれだけ居なさることでしょう。生きる意味は信心決定ただ一つあるのみ、後生の一大事程新しい生きた言葉はありません。 その新しい広大なる南無阿弥陀仏の真実を、夢の世界にたわむれてマ…
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