テーマ:他力

平生業成の浄土真宗での本当の意味

平生とは臨終に対する言葉で平常の時をいい、業成とは業事成弁の略語であって、 往生の業因が完全に成立したことをいう。 すなわち、臨終の時節をまたず、平生信心獲得の一念に往生の業因が成就して将来浄土に往生することに定まったということである。  平生業成という語は覚如上人にはじまったといわれ、浄土真宗の骨格をなす最も大切な言葉の一つ…
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雑修とは何か

雑行のことについては、雑行とは何かで お答えしましたので次にお尋ねの雑修とは何かについてお答え致します。  浄土真宗では、朝夕の阿弥陀仏の御前での『正信偈』や『御文章』の勤行を読誦正行といいます。 そして阿弥陀仏やその極楽浄土を思念することを観察正行といいます。 一心に阿弥陀仏一仏に向って礼拝することを礼拝正行といいます。 …
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雑行とは何か

浄土真宗本願寺派の僧侶が 「他力の雑行雑修もある」 と書いていますが、一体、雑行雑修とは、どんなことでしょうか。 浄土真宗では雑行雑修自力の心をふり捨てなければ絶対に、 阿弥陀仏の救済にあずかることはできないと教えられていますから、 その雑行とは何か、雑修とは何かという質問は大変大切なお尋ねです。  まず、雑行といい…
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雑行の自力と他力について(本願寺vs親鸞会)

本願寺vs親鸞会の当日、お互いの同意のもと、法論の一切の顛末が録音された。それが起因となって本願寺と親鸞会の一対一の文書による大諍論となった。両氏のやりとりは回を重ねる毎に真実安心の核心に触れ白熱化した。 その後、親鸞会より発送された書面より、3カ月後の最終書面に到るまで、親鸞会より11通、本願寺より4通の書面が往来した。信謗共に讃仏…
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疑いは一生晴れないのではないのか(2つの疑い)

先生の仰せの内「他力信心の大自覚」ということが強調されていますが、この自覚は「何によりて生ずるか」「如何すれば自覚し得るか」の二点です。 私の今までの聴聞によれば、人間は一生涯、疑いを離れる事はできない。法然上人は「疑い惑わしきは凡夫の常なり」親鸞聖人は「うちまかせて凡夫のありさまに変りあるべからず」蓮如上人は「女人の身は如何に真実心…
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知られざる親鸞聖人の実像

 親鸞聖人の実像は常に隠され、聖人のみ教は常にネジ曲げられて来た。 本当の親鸞聖人の教法を開顕し全人類救済の大使命に向かって親鸞学徒は猛進している。 大衆の誤解 世間の大衆は親鸞聖人を柔和な優しい所謂、円満な人格者だと信じ込んでいる。しかしそれは、聖人の全像ではない。聖人ほど、気性のはげしい、きかん根性の強い方はなかった。 聖人の肖像…
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浄土真宗の三通りの「ただ」

浄土真宗は、他力じゃただじゃと仰言るから苦労する必要はない。とみんな思っているが、ただに三通りあることを知らないのだ。ただじゃと聞かされて、ほとんどの者は「ただじゃそうな」と受け取ってゆくが、信心の幼稚園だということが判らないのだ。浄土真宗の人達は十中八・九まではこの程度のきき方しかしていないのが現状である。またこの程度の浄土真宗の法話…
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